ようこそおこしくださいました
欣念寺だより
コロナの日々 (4月18日)
先日全国に「緊急事態宣言」がだされました。
不要不急の外出は避けてください。といわれています。
いつまでこれが続くのかという不安はつきません。
先日あるウイルスの研究されている大学の先生がテレビで話されているのを聞きました。
「今回のウイルスの発生も、おそらく人類の自然への侵入破壊が原因ではないかと考えられる。密林開発など他の動物の居住生息地を奪い、さらに温暖化となり、ウイルスをより身近に摂取する危険性が高まってきた結果ではないかと考えられる。」というようなことを仰ってました。
さらに「もはやウイルスを無くすことは不可能であろう。そうではなく、ウイルスとの共存していくようになるだろう」といわれました。
ウイルスと共存とは、今までにも多くの人体を脅かすウイルスを克服し共存してきたように、このコロナウイルスもそういったことになる、ということなのか、無知な私にはそう聞こえましたが、
ただ「共存」という言葉がとても印象に残りました。
人類がいかに高度な文明をもってもそれは自然界の中で成り立つことであります。人類が自然を制することはできません。
それを忘れた行為は愚かでしかなく、必ずしっぺ返しがあるでしょう。
今回のコロナウイルスもそのしっぺ返しなのかもしれません。
むしろ真に高度な文明とは、自然の摂理を重んじるものではないでしょうか。
今回のコロナウイルスはその教示なのかもしれません。
アゲハ蝶 (3月31日)
昨日庭先に
孵化したてのアゲハ蝶を見つけました。
おめでとう。
その美しい羽根を広げて、春を羽ばたいて
ください。
私も同じ春を生きています。
コロナウイルスに伴うデマ(2月29日)
ここ最近コロナウイルスのことで日本中、世界中が揺れ動いています。それに伴ってデマも流れ、何が本当かわからない状態です。何を信じて行けばいいのか。本当のことがわからない私であるがゆえに、人の意見に左右されたり、世間の多数の意見を正しいと思いこんだりしてしまいます。
原因はどこにあるのか。あたふたしている私にあるのではないかと思い知らされています。
『どうにもできないことはどうする必要もない』
こんな言葉を聞いたことがあります。
あたふたしている時だからこそ、なおさら仏様に手を合わせ、お話を聞いて、何が本当かを問いたずねてみようと思うのです。
そういえば今日は2月29日。閏年なのですね。四年に一度。
いやよく考えてみたら、今日という日は四年に一度ではなく、
一生に一度ではないでしょうか。その日を賜っているのですね。
女人講の新年会を行ないました (2月19日のブログ)
二月の第一日曜日、毎年恒例の女人講の新年会を行ないました。
最初にお勤め、住職(私)の法話、そして場所を客殿に移して、
みなさまでの食事会と楽しいひとときをすごしました。
写真は私の法話しているところです。あいにくこの後カメラの電池が切れてしまい、楽しい新年会風景を撮影できず残念でしたが、普段はあまりお会いする機会のない方々ともお会いできました。今後もこのご縁を継続するとともに、さらに深まるように考えていきたいと思います。
なんまんだぶつ。
本年1月1日午前10時より
正月元旦会を勤修しました。
沢山の方々がお参りに来られました。住職と長男次男の三人で内陣んに出仕して、みんなでお勤めの後、住職の法話、そして甘酒をふるまいました。
当日は年回操出表を貼り出して、みなさん今年の年回をみていかれました。
それから最近パソコンの調子が悪くなかなか出来事をアップできていませんが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2017年
1月
16日
月
大雪になりました
昨日15日(日)朝起きてみると一面雪景色になっていました。
写真はお寺の裏の道路です。普段は二車線の直線道路なのに、ご覧のように道路の道幅がまったくわかりません。こんなに降ったのは何年ぶりでしょうか。今朝もまだ残っています。みなさまくれぐれも気をつけて通行してください。 またインフルエンザが流行っています。うがい手洗いを忘れずに。
なんまんだぶつ。
2017年
1月
12日
木
お寺の子供会
先日冬休みの最後の日に、お寺の子供会を行ないました。
今回も急な日程の決定だったので、参加者はやや少なめでしたが、皆さんと一緒にお勤めをして、お話、ゲームと楽しいひとときを過ごしました。
また次回もぜひお越しください。お待ちしています。なんまんだぶつ。
2016年
11月
02日
水
絵伝完成 (11月2日のブログ)
先日本山御用達の表具師さんにお願いしてありました
「親鸞聖人の四幅御絵伝」が完成したので、表具師さんより届けていただきました。(写真表具師様)
12月の10日11日の報恩講に
披露しますのでぜひお越しください。
それからすっかり寒くなってまいりました。風邪も流行っているようです。
もうやがて年の暮れです。早いですね。みなさまはいかがお過ごしですか? 私はなんまんだぶつの日暮しを忘れないで、歩ませてもらいたいと思っています。 なんまんだぶつ。
2016年
10月
17日
月
秋の永代経 (10月17日のブログ)
申し遅れてしまいましたが、先日秋の永代経法要を勤修致しました。
午前と午後の二回に分かれて行いました。午後は池田先生のお話を聴聞しました。
善導大師の「経」の教えからはじまり、自らの「死」について、永代経の意味も交えてお話いただきました。
私が思いますに、永代経とは(永代親鸞聖人の教えに遇う法要)だと思います。後の人々も親鸞聖人の教えを聞く機会をもうけていただく法縁であると思います。それがお亡くなりになられたご先祖の願いであると聞いていくのでありましょう。
当日は久しぶりの秋晴れでまさに永代経日和でありました。
コスモスも咲き、金木犀の香ばしい秋の薫りを風が運んできています。
なんまんだぶつ。
2016年
10月
09日
日
唯円大徳のお墓へ (10月9日のブログ)
先日奈良県の吉野下市にある
唯円大徳の終焉の地といわれている浄土真宗本願寺派立興寺様へ
お伺いいたしました。
ご住職様から唯円さまのお話をお
聞きして、その後お墓にも連れてもらいお参りさせていただきました。
その日は吉野方面は素晴らしい秋晴れでした。ここ下市は吉野川を中心に山々に囲まれた風光明媚な歴史ある町並みで、また訪ねたいと強く感じました。
それから吉野といえば名産「柿の葉寿司」ですが、その日も帰りに近くの食堂に寄りましたが、それとはまた別の季節ものの「鮎寿司」をいただきました。
香ばしくてとても美味しかったです。
2016年
10月
01日
土
ついたち参り (10月1日のブログ)
今日は恒例のついたち参りでした。
午前9時より勤行、そして法話。
その後は皆さんでお茶とお菓子で楽しく茶話会。
まだまだむし暑い日が続いてます。
体調に気をつけて今月も聞法していきたいと思います。なんまんだぶつ。
2016年
9月
17日
土
信楽峻麿師 (9月17日のブログ)
本日午後から
伊賀市内の御寺院様に御法話に伺いました。
お勤めの間、書院にて控えさせていただきました。
その床の間に、私の恩師信楽俊麿師のお軸が掛けられておりました。
先生はこちらの御寺院様とは特にゆかりがあるとのことです。久しぶりに先生とお遇いしたような気持ちになり、身の引き締まる思いがしました。
なんまんだぶつ。
2016年
9月
09日
金
栗の季節になりました。 ( 9月9日のブログ)
3年前に庭の片隅に植えた栗の木に栗が実りました。
今朝そばに寄ってみると、(栗の坊や)が顔をのぞかせていました。
手に取ってみると色つやが瑞々しくとても綺麗です。
ものぐさな私はこの一年なにも手入れもしないでいたのですが、こうして育っていたのですね。かわいい栗の坊やが朝日に照らされて微笑んでいるようです。 栗は幾重にも厚い皮がありますが、その中身は甘い実が入っています。外見は厳しいようですが、中身は優しく甘いのです。
よくたとえられますが、人はその反対に、外面は柔らかく甘いようでも、中身は厳しく冷たい。
「イガが中身のうわべの心今日より後は栗を見習え」、と昔のお説教で聞いたことがありました。
かわいい栗の坊やとの出遇いでありました。なんまんだぶつ。
2016年
8月
31日
水
お寺の子供会 (8月31日のブログ)
今日は午前中、
お寺の子供会を行ないました。
写真は子供達だけの
勤行しているところです。導師席にも男の子が座っています。
みんなで一緒に勤行しました。その後お話紙芝居、ゲーム、そして恒例の肝試し、お菓子阿弥陀くじ等、あっという間の楽しいひとときでした。
2016年
8月
30日
火
「寺院崩壊?」ご本山での研修会 (8月30日のブログ)
昨日午後から本山で本願寺派の御講師を招いての勉強会がありました。
テーマは(寺院崩壊?)でした。
とてもひきつけられる題名に多くの方が聴聞にみえました。
私はこの会の企画者の一人でしたので色々と裏方をしつつ、大勢の方々と共に聴聞させていただきました。寺院崩壊というこの時代に即した現実的なお話に、後の質疑応答でもかなり熱の入った意見や感想がありました。
2016年
8月
23日
火
遅ればせながらのお盆報告 (8月23日のブログ)
暑い毎日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。
それでもお盆が過ぎた頃から、なんとなく風も日差しも秋めいてきたような気がします。
そろそろ稲刈りも始まっていて、そばを通ると稲の香ばしい匂いがして秋を感じます。あれほど暑い夏をうっとうしく感じていたのに、秋の香りがすると寂しくなるのはなぜでしょう。
写真はこの13日のお盆法要「歓喜会」の様子です。高3と高1の息子たちも出勤して、お同行の皆さんと一緒にお勤めしました。
まだ残暑は続きますが、どうぞお体ご自愛下さい。なんまんだぶつ。
2016年
8月
12日
金
蟷螂(カマキリ)さんの盆参り (8月12日のブログ)
お盆の時期になりました。
今度はカマキリさんがこられました。
年に一度のお参りです。
カマキリさんと一緒にお参りしました。
なんまんだぶつ。
カマキリさんと一期一会の出遇いがありました。まだまだ暑い日が続きます。くれぐれも体調にはお気をつけてください。
2016年
7月
30日
土
蝉のお参り (7月30日のブログ)
梅雨も明けて、いよいよ夏真っ盛りです。
蝉さんもこの時とばかりに一斉に鳴きだしています。
私も草刈や木の枝の伐採と、少しずつですが、熱中症にならない程度に
行っています。そんなとき色々な生き物と出遇います。
蝉、蛙、雲雀、バッタ、蟻、蜂、百足、蛇、草の中に腰を下ろしてよく見るとまだまだ色んな虫や植物たちが寺の敷地にいることに気づかされます。
自分の家だ。とかいってますが、とんでもないんですね。本当は同じ地球の上に、勝手に自分の土地だとか言ってただけなんですね。自分のその中のちっぽけな存在でしかなかったのでしょう。
2016年
7月
18日
月
ご法話に伺いました (7月18日のブログ)
先日
兵庫県の本願寺派の御寺院様へ御法話に伺いました。
二日間の法要でしたの
で、お寺で泊めていただき、夜は法話の後、ご門徒の世話方さんも一緒に、お酒も交えての楽しい親睦会を開いていただきました。
貴重なご法縁をいただきましてありがとうございました。
2016年
7月
05日
火
木蓮さん? (7月5日のブログ)
境内の木蓮の花がまたまた咲きました。
たしか今年の4月ごろに咲いたのですが、今日ふと見ると、なんとまた咲いているではありませんか。それも一輪だけではありません。いくつも咲いています。今まで特に注意して観察していないのでわからないのですが、この時期に咲いたのは記憶にありません。
木蓮の開花時期について少し調べてみますと、3月〜5月ということでした。ということは今回の開花はどういうことなのでしょうか。
素人の私にはまったくわかりません。しかしこの暑い炎天の下で咲いてくれた姿は、見る者を爽やかにしてくれます。
木蓮さんありがとうございます。なんまんだぶつ。
2016年
7月
02日
土
菩提樹 (7月2日のブログ)
知り合いのお寺様から菩提樹の苗をいただいたので、昨日の「ついたち参り」の後、境内に植えました。
今朝もそうですが、昨日も暑い一日でした。お日様のお照りによって、菩提樹さんも少し元気がないようですが、なんとか育ってほしいと思います。
木は人と深く関わりがあります。この菩提樹の木も、お釈迦様が樹下で悟りを開かれたときの木であります。菩提樹の菩提とは、仏になるという意味があります。
木は人よりも長い年月を生きます。この菩提樹の木もこれから長い歳月を生き、いつまでも当寺を見守っていただきたいものです。
2016年
6月
29日
水
檀信徒研修会 (6月29日のブログ)
昨日(28日)、ご本山で檀信徒研修会がありました。
当寺からも二名の方が参加されました。私は午後の分科会の 助言者として参加させていただきました。
朝九時半の御影堂での開会式に始まり、高田会館ホールでの基調講演、
その後、午後から分科会、落語鑑賞会等、盛りだくさんの勉強会でありました。 各寺院の御同行さんが一同に会してご本山でお念仏の話を聞く。
とても有意義な時間でありました。残念ながら写真は撮れませんでしたが、また次回秋にもご報告させていただきます。
それから今日は水曜日。午後から珈琲サロンが本堂でございます。
2016年
6月
18日
土
雲雀(ひばり)の歌声 (6月18日のブログ)
今日は快晴。梅雨の合間のいい天気。
朝から草刈三昧。
暑いです。
しかしそんな中でも雲雀さんはピーチクパーチク大空のどこかで歌っています。
雲に雀と書いてひばり。なぜかまっすぐ上にしか飛ばないんですね。鳴くのは雄。巣を守るためとのことですが、そのひたむきさに、「あっぱれ」といいたくなります。今日のような快晴の青空に雲雀さんの歌声は本当に嬉しくなります。いつまでもこの歌声が聞こえることを願います。
私も「なんまんだぶつ」と称えて生きていきたいです。
2016年
6月
05日
日
どくだみ茶 (6月6日のおはなし)
境内にたくさんのドクダミが生えてきました。あまりにも多いので、今年はひとつドクダミ茶を作ってみようと思い立ちました。
写真は摘んできて葉っぱを洗ったところです。これから日陰に干します。
させ上手くいくでしょうか。
どくだみのなんとも言えない匂いに囲まれてのしばしの作業です。
2016年
5月
21日
土
初夏の頃 (5月21日のブログ)
以前にもこちらに書きましたが、あれからもやっぱり燕さんが本堂内にやってきます。
ここのところ暑い日が続きますので、ついお堂の正面の扉を開けておきますと、そこからいつの間にか燕さんが入ってくるのです。一度入るとなかなか出ていきません。
来てくれるのは嬉しいのですが、いろいろこちらの勝手な都合がありまして。ごめんなさい燕さん。せっかく遠いところを来てくれたのに、せめてお堂の外からお参りしていってくださいね。
つばめ飛ぶ初夏のお堂に青い空
2016年
5月
16日
月
名も知らぬ花 (5月16日のブログ)
今朝がた外に出てみると、家の前に小さな花が咲いていました。
写真に撮りましたが、実際にはもっと色が鮮明で葉は固い感じです。あきらかに草の類ではありません。
いつの間に咲いたのでしょうか。どこからか種が飛んできて生えたのだと思いますが、三つの花が仲良く咲いてくれています。花を見ると思わず優しい気持になりますね。不思議です。なんまんだぶつ。
2016年
5月
12日
木
ご本山の清掃奉仕 (5月12日のブログ)
今日は初夏の好天に恵まれた一日でした。
そんななか当寺のお同行のみなさんとご本山の清掃奉仕に行って参りました。
ご本山の清掃奉仕係の柏原氏のご指導のもと、爽やかな晴れわたった空の下で、みんなで草ひきをしました。その後は重要文化財の案内をしていただきました。普段一般には開放していないお庭や書院を拝見でき、とても貴重な体験をさせていただきました。
写真は、宗務院前での記念写真です。その後高田会館で昼食をいただきました。みなさまお疲れさまでした。
2016年
5月
08日
日
カリンの実なる (5月8日のブログ)
カリンの木に実がなってきました。
実は植えてから初めてのことです。以前は本堂の前にありましたが、本堂建て替えにともなって、庫裏の裏に移しましたが、それからは一度も花が咲くこともありませんでした。しかしこの春は違いました。にわかに綺麗な花を咲かせたのです。そうして花が散ったあとこのように実ができ、少しづつ大きくなってきました。そろそろ田も田植えが終わり、綺麗な水田になりました。夜には蛙さんが歌を歌っています。晴れた日中には雲雀さんが一日中歌を歌ってくれています。 これからは初夏ですね。
ちなみに明日は恒例の「法話とヨガの集い」です。よろしければぜひお待ちしています。
2016年
5月
02日
月
燕(ツバメ)さんも参拝 (5月2日のブログ)
一日遅れましたが、 昨日の「ついたち参り」の時に、燕さんが舞い込んできました。
堂内を勢いよく飛び回っていました。
写真を撮ろうとしましたが、なかなかうまく撮れませんでした。
その後そのままお勤めをしておりましたら、いつの間にかでていかれたようでした。
たいへん賑やかなついたち参りとなりました。
「賑やかなついたち参り初夏の風」
2016年
4月
29日
金
永代経法要 (4月29日のブログ)
今日は午前午後と永代経法要でした。
兵庫県から本願寺派の布教使、堀晃洋師にお越しいただきました。
堀氏は私の本願寺派時代からの友人で、今回久しぶりにお越しいただきお話をしていただきました。自らの体験をもとに仏法をやさしくお話いただきました。私もみなさんとともにお聴聞させていただきました。
次回は秋です。また連絡させていただきます。
2016年
4月
21日
木
永代経近づく (4月21日のブログ)
しばらくブログを書いていませんでした。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
九州では大きな地震があり、不安な日々が続いています。謹んでお見舞い申し上げます。
しかしこれは決して他人事ではありません。日本列島ならどこでも地震がおこります。今さらいうまでもないことかもしれません。なのについ自分だけは大丈夫だと思ってしまいます。それはなんの根拠もない妄想なのですね。あらためて色々考えさせられています。
それから永代経法要が近づいてまいりました。今回は兵庫県より私の本願寺派時代の布教使の友人にお話いただきます。お時間のある方はぜひお参りくださいますよう、お待ちしています。
2016年
4月
09日
土
桜咲く (4月9日のブログ)
当寺の片隅にあるしだれ桜も咲きました。
昨日は4月8日。お釈迦様の誕生日でした。
この日を「花まつり」といってお参りをします。
ここしばらく当ブログもお休みしていましたが、その間に桜も咲き、その他花梨、木蓮、ドウダンツツジなど春の花々が咲いてきました。
春は花の季節ですね。そんななかでお釈迦様が誕生された。まさに花まつりです。皆さんはお参りされましたか。4月8日という日はもう去りましたが、まだ花は咲き誇っています。花を見てその空気を感じながら、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと、お念仏。
咲き誇る花も念仏誕生会
2016年
4月
01日
金
恒例のついたち参り (4月1日金のブログ)
今日は4月1日。1日といえばついたち参りの日です。
朝9時に本堂で恒例のついたち参りを行ないました。
写真はお勤めの後の法話の様子です。今日は新しく完成した紙芝居をもとにお話させていただきました。我ながらなかなかうまく描けたように自己満足しています(笑)
ぜひまだお越しいただいていない方はぜひ来月お待ちしています。
2016年
3月
31日
木
春休み子供会 (3月31日木曜日のブログ)
今日は春休み子供会を行ないました。みなさん習い事や行事などで忙しいようで、参加者は少なかったですが、少ないながらも充実した時間でありました。
みんなでおつとめ、お話紙芝居、ゲーム、恒例のお寺内の肝試し、
お菓子阿弥陀くじ、そして後片付け掃除とあっという間の二時間でした。
次回は夏休みです。またぜひお待ちしています。
2016年
3月
27日
日
法話にお邪魔しました。(3月27日日曜日のブログ)
今日は午後から津市内の御寺院様に御法話でお邪魔しました。
春の永代経法要でありました。お庭に綺麗に桜が咲いて、春が来たことを感じました。もうすぐ入学式もあるでしょう。旅立ち、巣立ちの春ですね。
日本には四季があります。その四季に合わせた様々な行事があって、
四季折々の趣(おもむき)があります。春の永代経もその季節の大切な行事の一つですね。
2016年
3月
24日
木
お地蔵堂のお参り (3月24日のブログ)
昨年もこちらで紹介しましたが、今日3月24日はお寺に隣接する地蔵堂のお地蔵様の日です。
朝から町内の当番地区の方々が地蔵堂内の掃除やお花を活けたりと堂内を綺麗にしていただき、午後2時より皆様と一緒にお参りをいたしました。
今日は春の日差しではありましたが、風が強く寒い日でありました。
お地蔵様の前には子供たちの好きなお菓子が数多くお供えされ、お勤めのあとはみんなにお楽しみのお菓子配りでした。
お地蔵菩薩は子供を守る菩薩とのことです。やはり子供たちの賑やかな声がいっそうお参りに花を添えているようでした。
来週は子供会の予定です。
2016年
3月
22日
火
近況報告 (3月22日のブログ)
みなさまお久しぶりです。
しばらくこちらも更新していませんでした。
その間お彼岸の時期でもあり、色々と忙しくしておりました。
御法話で関東別院(東京都)にも御法話でうかがいました。
まだ彼岸中ですが、ところで今日は私の誕生日です。何回目かは、またお会いした時にでも(笑)
(誕生日という日は、親に感謝を伝える日です。)ということを聞いたことがあります。しかし実際には、照れくさくてなかなかいえません。
今日は亡き母の墓前にお参りをしました。生前には照れくさくてまともにお礼の言葉が言えませんでしたが、今は言えます。
亡くなったらもう終わりと、思う人もいるようですが、私はそうは思いません、今日もこうして母にお礼が言えました。
私の誕生日がちょうどお彼岸中ということもありますが、彼岸はやはり亡き人にお礼をいう日でありましょう。どんなお礼かというと、それは私を育てていただいた、そして今もなお育て続けてくださっていること、生かされていることへの感謝のお礼だと思います。
(写真は特に文面とは関係ありません、)
なんまんだぶつ。
2016年
3月
14日
月
法話とヨガの集い (3月14日のブログ)
今日は午前中、法話とヨガの集いを行ないました。
この集いは体の健康はいうまでもありませんが、心についても考える集いであります。
お寺で行うというのには意味があるのです。それは仏前ということで、まずお香を焚きます。お香の清らかな香りを感じ、そしてみなで声を出して読経します。声を出すというのもとても体には良いことだと思います。そして仏さまの教えを聞くことで、自分の見つめることをになります。そうしたこともこのヨガの集いならではのことであります。
機会がありましたらぜひお待ちしています。
2016年
3月
07日
月
掲示板のことば (3月7日のブログ)
しばらくぶりに掲示板のことばを書きかえました。
実際にはもっと前に書きかえてましたが、こちらにアップするのが遅れてしまいました。
この言葉の意味については、
「お寺の紹介」から「こころにのこることば」を開いていただきますと、書いてありますので、どうぞご一読ください。
2016年
3月
01日
火
ついたち参り (3月1日のブログ)
今日は3月の1日。毎月1日はついたち参りの日です。
今朝も朝9時より本堂で月例のついたち参りを行ないました。
今日まで涅槃軸を掛けてありましたので、涅槃絵の絵解き法話をさせていただきました。
その後みなさんでお茶とお菓子の茶話会でした。月に一度の顔合わせにもなり、参詣者も入れ替わりながらもみなさん少しづつ増えてまいりました。
来月も行いますので、ぜひお参りください。お待ちしています。
2016年
2月
25日
木
春よ来い (2月25日のブログ)
今から三年前に桜の苗木をいただき庭の片隅に植えておきましたが、
今朝見るとその桜が咲きほころんでおりました。まだまだ寒い日でありましたが、北風の中で咲いておりました。
♪春よ来い 早く来い♪ と桜が歌っているような気がしました。
ある先生が、この童謡「春よ来い」は浄土真宗においては「信心のうた」であると仰ってみえました。
歩きはじめたみーちゃん。南無阿弥陀仏の道を歩き始めた私。
辛く寒い北風がやがて転じて、そのまま春になる、花が咲く。
辛い寒さがそのまま転じていく道を歩き始めた念仏者。あなたも共に歩みましょう。
この桜は私にそう歌っくれています。
なんまんだぶつ。
2016年
2月
18日
木
紙芝居法話 (2月18日のブログ)
本日と明日の二日間、
午後から四日市市内の御寺院様で
御法話をさせていただきます。
その中では紙芝居の法話もさせていただきます。
今日はその初日、少し寒い風が吹いていましたが、日差しは温かく春の足音が聞こえてきそうな陽気でした。皆さんと一緒にお釈迦様の涅槃会について御相続させていただきました。
2016年
2月
15日
月
涅槃会(ねはんえ) (2月15日のブログ)
今日はお釈迦様がお亡くなりになった日。
釈迦仏が人として誕生し、私達を仏の世界へ導かれ、そして人としての寿命を終えられたのが今日2月の15日でありました。
仏が人としての一生を終えられ仏の世界へ帰ることを、涅槃に入るといいます。
当寺では今日は涅槃会として主だった法会は行いませんが、来月の3月1日の「ついたち参り」に参詣者の皆様と一緒に涅槃会のお勤めと、絵解きをさせていただきます。
お釈迦様は人間界に生を受け、その一生を仏道に精進されそして迷える人々を覚りの世界に導かれました。その一生はぼろの衣と托鉢の鉢のみ、生涯人々の救済に生きられ、その生ききられた最後のお姿が「涅槃図」なのです。この涅槃図には仏の大いなる教えが込められています。
ぜひ直にご覧になって、仏のお心を聞いて下さい。
2016年
2月
08日
月
前住職の十七回忌法要 (2月8日のブログ)
今日は午後1時半から
前住職良譲聖人の十七回忌法要を勤修しました。
主な参詣者は世話方様と前住職にゆかりのある方でした。
少人数ではありましたが和やかな雰囲気の中で執り行われました。
勤行の後、皆さんでお茶とお菓子をいただきながら、前住職の思い出話をしました。 今日は良く晴れた一日で、日差しが堂内に入り温かでありました。たまたま昨日いただいた月ヶ瀬の梅一枝を花瓶にさしましたが、いつの間にかもう春間近というかという感じですね。
2016年
2月
04日
木
御絵伝の絵が完成しました (2月4日のブログ)
いよいよ御絵伝の絵が完成しました。
かねてから日本画家の永都康之先生に親鸞聖人のご一生を四幅の正絹に描いていただいていましたが、今日完成した絵を先生よりもって来ていただきました。今後はこの絵を表具していただいて御絵伝の完成です。
それにしてもやはり素晴らしい絵でありました。人物の表情まで生き生きと描かれていて、観れば観るほど親鸞聖人の世界に引き込まれていきます。
永都先生有難うございました。
なおこの後表装して完成したお軸は、今年の12月10日11日の報恩講において皆様に観ていただきます。
特に12月10日には、永都康之先生にお越しいただいて、御絵伝完成の表彰式と先生による御絵伝のお話をしていただきます。
それについては追って連絡させていただきます。
2016年
2月
01日
月
ついたちまいり (2月1日のブログ)
今日は朝9時から月例の
「ついたちまいり」を行ないました。
新しい参詣者もお越しになり、
細く長く続いております。
さて今日から2月。ついたち参りの参詣者の方もおっしゃってみえましたが、お正月からもう一月たったのですね。時の流れはみな等しく過ぎていきます。しかも止まることはありません。毎日忙しく過ごしていると、ついついそのことを忘れてしまいますね。
こうしてお寺にお参りして、静かに自分をみつめてみますと、色々なことが気づかされてきます。
2016年
1月
31日
日
女人講 (1月31日のブログ)
今日はお昼前から女人講の集いがありました。
参加者は少な目でしたが、それでも皆さんこの日を楽しみにしておられたようで、終始にこやかな明るい雰囲気の中、進行していきました。
お勤めから紙芝居法話をし、そして場所を移して客殿で食事会と続きました。 お寺での食事を交えての集いというのは最近めっきり少なくなりました。
これはお迎えする寺院の側からすると、準備等で少々大変な面もありますが、しかしやはりみんなで食事するというのはいいものですね。
これからもぜひ続けていっていただきたいと思います。
2016年
1月
26日
火
紙芝居法話にうかがいました (1月26日のブログ)
今日は朝から伊賀市の真宗の
御寺院様に紙芝居法話にうかがいました。
そうしてお昼には精進料理(写真)をいただきました。
こちらのお料理はなんとすべてお寺での手作り。月に一度精進料理の会を開いてみえるそうで、毎回その季節に合わせて物語風に創作されているとのことでした。今回は近々の節分に合わせて豆の天ぷら、小豆のおかゆ、蕎麦掻の味噌汁、その他カボチャ、とろろ、聖護院大根などなど、見るのも食するのもすべて珍しく美味しいものばかりで、心も身体もほかほかになりました。
参加された皆様もきっと次回はどんな料理がいただけるのか、とても楽しみなことでしょう。私も毎月でもお邪魔したくなりました。
また客殿と大玄関には、私の大学時代の恩師である信楽峻麿先生の書が掛けられてあり、あらためてご縁の深さを感じました。
本当にお世話になりました。なんまんだぶつ。
2016年
1月
25日
月
またまた雪の朝 (1月25日のブログ)
昨日から天気予報では、今年一番の寒波がくるとのことでしたが、やはりそのとおりというか、先日のこのブログに続いてまたまたの朝になりました。 ただ先日よりも雪の量は少ないようですが、静な朝になりました。
今日は予定していた「法話とヨガの集い」は休みになりました。
それから「法話とヨガの集い」は2月はお休みです。3月に再会しますのでどうぞよろしくお願いいたします。
2016年
1月
20日
水
雪景色のお寺 (1月20日のブログ)
昨日から強い風が吹いていました。そして
今朝起きてびっくりです。ご覧のように雪景色となりました。
こちらで雪が積もるのは一年に一回あるかないかです。
今年は暖冬のようだったのでなおさら驚きです。今日は水曜日なので、
午後に珈琲サロンを開設する予定ですが、この雪ではどなたもお見えにならないかもしれませんね。
2016年
1月
16日
土
聖人御命日と山茶花(さざんか)
今日は親鸞聖人の御命日です。
御本山では報恩講が勤修されています。私はお参りできませんでしたが、本堂でいつもと変わらずお勤めをしました。その後境内の掃除をしました。
そんな中庭の片隅に山茶花の花が咲いていました。二年ほど前に一本だけ植えたのですが、その後元気がなく葉もしおれ気味でもはや枯れるのかと惜しんでいたのですが、この時期になって、つぼみがなりそしてこのように美しい花を咲かせてくれました。
それにしても花にも色々ありますが、冬の一番寒いこの時期に花を咲かせるというのは不思議な花ですね。寒風に揺れながらも耐え忍び、その中にほのかに照らすお日様ににっこりほほ笑んでいるかのようです。しかしそれゆえにいっそう美しく愛おしく見えます。
親鸞聖人のご一生もとても順風満帆な安定した一生ではなかったでしょう。
その生涯は冬の寒い北風の中を歩んでいかれたような厳しいご一生であったように思えます。心もとないときも、不安な足取りのときもあったでしょう。しかしそのなかにこそ歩むべき道を見つけられて、一歩一歩歩んでいかれたのでしょう。
吹き付ける北風のなか、わずかに一本だけの山茶花。
こころもとなく不安げに揺れている。しかし揺れつつも
その身は吹きつける強い風にもしなやかに しなやかに風にまかせて揺れている。
日は照らしその身をやさしくつつみこむ。日と風と冷たすぎる土と、しかしそのなかにこそある温かさに育てられて、やがて鮮やかな一輪の花をさかせてゆく。
その花の美しさはその花の歩みの強さの象徴でもある。
今日は宗祖の御命日。寒風に咲く山茶花に宗祖の生涯を憶う。
2016年
1月
07日
木
お寺の子供会 (1月7日)
今日は午前中、冬休みの子供会を行ないました。地元の子供たちのほかに津市からも来てくれました。
お勤めも子供達でおこない、その後紙芝居と法話、そしてゲーム遊び、お菓子阿弥陀くじ、後片づけ、最後にみんなで阿弥陀様にごあいさつ。
みなさん楽しんでくれたでしょうか。 これからも行いますのでぜひきてくださいね。
2016年
1月
01日
金
本年もよろしくお願い致します。 (2016年1月1日)
今日は一月一日。朝から本堂で元旦会を勤修しました。
「元旦や今日のいのちに遇う不思議」 の詩を黒板に書き、それについてお話しました。みなさんと一緒に新年をお迎えすることができ有難いことでありました。本堂には年回操出表を貼り出しています。今日一日はみなさんお参りに来られて操出表を見ていかれます。
それからいつも欣念寺のホームページにお越しくださるみなさま、本年もお変わりなくお越しいただきますよう、よろしくお願いいたします。
2015年
12月
24日
木
年末の大掃除 (12月24日)
昨日は23日。恒例の年末の大掃除をしました。地元の同行さんが30人以上来ていただき、境内から本堂内まで午前中しっかりと大掃除をしていただきました。有難うございました。境内と本堂がすっかり美しくなりました。
2015年
12月
19日
土
ムクロジ(無患子)の実 (12月19日)
まるで宝石のようです。
またまた拾ってきたムクロジの実を皮をむいて中の実を洗ったところです。
一見同じような実に見えますが、よく見ると一つ一つそれぞれ形も大きさも表面の柄もみな違います。なんとも可愛いムクロジの子供たちです。
いつのまにかこの実に魅せられてしまいました。
ムクロジの実は木が秋になると稔り、葉が黄色く色ずく頃に地面に落ちてきます。しかしその木がなかなか見つけられません。ある所にはあるのでしょうが、植物の本などで調べてみますと、神社や寺院の境内によくあるそうですが、実際に見つけたのはごくわずかでした。
もしご存知の方みえましたら、教えていただけたら有難いです。
2015年
12月
18日
金
ナンテンの朝 (12月18日)
ここしばらく暖かい日が続いていましたが、今朝は寒い朝になりました。
庭のナンテンの実も冷たい北風に
静かに揺れていました。
このナンテンの実ですが、もうあとわずかしかありません。鳥にでも食べられたのでしょうか。
わずかになってもナンテンは赤い実を朝日に光らせて今日という一日を迎えているようにみえました。
この実が鳥に食べられて、その糞がどこかの土地に種となって落とされて、そこにまた新しい命となって生れ出ることでしょう。
草花はなにもいいませんが、その姿に耳をすませば、色々なお話が聞こえてきます。 なんまんだぶつ。
2015年
12月
15日
火
報恩講 (12月15日のおはなし)
今日は15日。昨日から神戸別院の報恩講がはじまりました。
昨日は午前中に当寺で
「法話とヨガのつどい」をおこない、その後神戸別院での報恩講に出勤しました。
この報恩講は今日は午後と夜にお勤めがあり、明日は朝と午後に法座があります。今日明日は神戸別院での報恩講三昧であります。
ところで写真ですが、先日の当寺の報恩講での田中秀法師の法話の様子です。先生は藤谷秀道師と大石法夫師から仏法を学ばれたそうです。
なかでも大石先生からいわれた言葉
「下座の生活をしなさい。」 がとても印象にのこりました。
人をうらやみ、自らをはからい常に上に上にと目を向けて生きています。
そんな私に鉄槌のような重い言葉でありました。
2015年
12月
12日
土
報恩講 (12月12日のおはなし)
今日明日の二日間、当寺の報恩講です。
今日の御法話は田中秀法師でした。伊賀市の御寺院の住職ご夫妻も、田中先生のお話の聴聞に参詣くださり、たいへん賑やかで温かな報恩講となりました。
明日は私と洋山氏との法話ユニットです。
どうぞお楽しみに。なんまんだぶつ。
2015年
12月
10日
木
名古屋へ (12月10日のおはなし)
今日は朝から葬儀のために名古屋に向かいました。ご門徒さんではありませんが、ご縁ある方の葬儀です。鈴鹿から名古屋まではさほど時間はかかりませんが、法事で向かうのはこの秋以来久しぶりのことです。
そこでこの写真ですが、どこかわかりますか?
写真はすっかり様相が変わった名駅(名古屋駅)です。すっかり変わったといってももうずいぶん前からのことでしょうが、あらためて眺めてみると、私の子供の時の様相はすっかりなくなり、大きく変わったなということです。
葬儀の後しばらく市内観光をと思いましたが、明後日からの報恩講の準備もあり、早々に帰宅いたしました。
2015年
12月
09日
水
認知症サポーター (12月9日のおはなし)
昨夜は「認知症サポーター養成講座」が市役所であり、研修を受けてきました。
認知症について、まだ何も知らないことばかりですが、基礎の大事なところを教えていただきました。
受講終了後に「認知症サポーター」の証である写真のリングをいただきました。長寿大国である我が国にとって避けることのできない老いの問題。その中でも認知症の問題は深刻です。決して他人ごとではありません。
今回はそんな現状を知る良い機会と思い受講しました。
今後もできることなら継続していきたいと思います。
2015年
12月
06日
日
報恩講さん (12月6日のおはなし)
今日は一日白山町に行ってました。
お招きいただいた御寺院様の
報恩講での御法話をさせていただきました。
それにしても久しぶりの白山町。
さきに同じ白山町の法友のお寺によって、しばらくぶりの再会に積もる話に盛り上がりました。午後からは写真の御寺院の報恩講に伺いました。
思い出深い一日となりました。
2015年
12月
05日
土
菩提樹の実 (12月5日のおはなし)
12月にはいってめっきり寒くなってきましたね。
今日も一日風も強く吹いていました。日も短くなり、いよいよ本格的な冬到来でしょうか。
ところで写真ですが、親戚の寺院にある菩提樹の実を拾ってきました。手にのっているのがそれです。菩提樹も色々種類があるようですが、この菩提樹は何という種類なのかわかりません。しかし小さな実ではありますが、たくさん鈴なりになっていました。この実に穴をあけて百八つの念珠を作ろうと思っています。
同じく写真には、先日拾ってきたムクロジの実で作った念珠が写っています。 最近は念珠作りに励んでいます(笑)
ところで菩提樹はかつてお釈迦様が、木の下でお悟りを開かれた時の
木であります。そしてその日は12月8日でありました。もうすぐです。菩提はさとりのことです。そういうことからも菩提樹は昔から寺院の境内に植えられていることが多いのです。またその実は念珠として用いられています。
私事ですが、しばらくは念珠作りにハマりそうです。。
2015年
12月
03日
木
御本山での朝参り (12月3日のおはなし)
写真は今日の早朝の御本山の御影堂と大銀杏の木です。
今日は御本山の朝の法話をさせていただく日でしたので、早朝に御本山に向かいました。
冷たい雨が降っており、まもなく冬至ということもあり、まだ薄暗い中に、法中僧侶の玄関にはほのかに灯りがついており、まさに冬の朝と いう感じでありました。
ちなみに明日も同じく法話させていただきます。お時間ある方はぜひご参詣ください。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
29日
日
今日も報恩講 (11月29日のおはなし)
今日も午後から、昨日に引き続き
組内の御寺院の報恩講に出勤とその後の御法話をさせていただきました。今日は自作の親鸞聖人の紙芝居のなかで、「吉水編」をもとにおはなしさせていただきました。
境内には大きな銀杏の木があります。そろそろ落ち葉になるころでしょう。銀杏もそこここに落ちておりました。
2015年
11月
27日
金
ボランティア (11月27日のおはなし)
本日は市内の老人福祉施設から
お招きいただき、紙芝居法話に伺いました。みなさん私の話を最後まで聞いていただき、とても楽しく貴重な時間でありました。
こういった施設でのお話は、
場所が寺院ではないので、仏教の話を聞いたこともない人もいます。初めて仏教の話を聞く人もいるかもしれません。ゆっくりと大きな声でお話するのも基本でしょう。みなさんの反応を確かめながらのお話を心がけました。わずか1時間たらずのお話ですが、まさに全力投球です。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
26日
木
雨のち晴れ (11月26日のおはなし)
みなさんこんばんわ。昨日あたりからずいぶん寒くなりましたね。
こちらは昨日から雨で今朝もまだどんよりとした天気。
今日は午後から御本山での会議があり、少し早く着いたので、境内を散策しました。境内の銀杏の木はすっかり葉を落としていましたが、
もみじはまだ紅葉が残っていました。では写真をと思ったその時、ちょうどお日様が顔を出してくれました。遠くまで行かなくても、境内で充分気持のいい散歩ができました。さすがわ御本山。念仏のふるさと。
なんまんだぶつ。なんまんだぶつ。
2015年
11月
23日
月
今日も報恩講さん (11月23日のおはなし)
今日も午後から鈴鹿市内の御寺院様の報恩講にお邪魔して
御法話をさせていただきました。
山門前に掲示伝道の言葉がありました。
「人間だものと言い逃れ 人間のくせにと他をせめる」
う〜ん、思わず考えさせられました。
自分が失敗した時は、色々理由をみつけては「〜だからしかたなかった。」と言い逃れ。他人が失敗した時には「〜のくせに失敗して」と容赦なくせめ非難する。
車の運転中に、割り込まれたら腹を立て、自分が割り込むときは、
「仕方ないでしょ渋滞してるんだから」と開き直る。
とかく自分に甘く、他人に厳しい私であります。そんな私をいい当ててくださっている言葉に感じました。山門をくぐるとは、頭の下がらない私が、頭を下げていくことを教わる意味があるのかと思いました。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
22日
日
報恩講法話 (11月22日のおはなし)
今日は鈴鹿市内の真宗寺院の報恩講にお邪魔して、御法話をさせていただきました。
今日は婦人会の報恩講ということで女性の方ばかりの中約1時間
楽しい時間をご一緒に過ごしました。こちらの御寺院様はご覧のように鐘楼堂が新しくなり昨日はその落成法会も行われたそうです。小高い山の上に立つお寺です。
麓の家々では夕刻になると、お寺の鐘が聞こえてくることでしょう。
思わずあの童謡「夕焼け小焼け」を連想しました。残したい美しい日本の風景ですよね。また本日の報恩講も真宗寺院のある在所にとって、とても意義深いものであります。みなで親鸞さまのお参りにお寺に集まる。個人主義、プライベート、お一人様を声高に主張する現代。同行がみんなで集まってお参りし、お話を聞き話す。そこにはお一人様の寂しさはありません。共に生きているという実感を感じ、生きる自信をいただくような、血の通った集いであります。
こちらも決して絶やしてほしくない美しく尊い仏事であります。
2015年
11月
21日
土
宗教心とは (11月21日のおはなし)
(宗教心とは)特別な心ではないんです。人間であるならばちょっと真面目に考えたら、誰でもが願わずにおれない確かな生き方の欲求、それを宗教心という。
「私は無宗教だ」という人がいます。それはたぶん、今流行っている
あらゆる宗教を信じないというんでしょう。いわゆる既成宗教というものを全部信じない。それほどその人は痛切に本当の生き方を要求しておるのです。 (「仏法と世法」和田稠講述 聞思舎発行)
上の文章は、先日ネットを検索していてみつけたものです。
「私は無宗教だ」という言葉を実際に私も聞いたことがありました。
それについてそんなことをいう人を、私は軽視していました。
(人生を真剣に考えていないから そんなことをいうのだ)と。
しかしここに和田先生のお話を聞かせていただいて、あらためて「無宗教」について考えさせられています。
既成宗教のありかたを問われている大切な言葉であったのだと。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
19日
木
伝道掲示板 (11月19日のおはなし)
写真は今日ある御寺院の前を通った時に目に入った掲示板の言葉です。
「正しければ 負けなさい」
これはいったいどういう意味なのでしょう。今も考えさせられています。皆さんどうでしょうか。
すべからく人は、何ごとにおいても「自分は正しい」と思ってしまいがちであります。特に自信がそうです。自分が正しいと思っていると、そうでないものはみな間違ったものに見えてきます。自分の考えに合わないものはみな間違ったものであると見下げてしまいます。その考えには常に勝敗がついてまわります。自分は常に勝つ位置にいるのです。正しい=勝つです。
そんな生き方をしている自分にはこの言葉がまったく質の違う、別世界の国から発せられた言葉のように思えてきます。
「正しければ負ける」人々が集う世界を浄土というのでありましょう。
2015年
11月
16日
月
ムクロジの二連珠 (11月16日のおはなし)
先日拾ったムクロジの実を、
百八つ繋いで二連珠を作りました。
どうでしょうか。綺麗な黒いたまでしょ。できあがった二連珠を手にかけて「なんまんだぶつ」。
ところで今日は16日。親鸞さまの月命日です。私は御本山の朝のお勤めの法話をさせていただきました。
「正像末和讃」の第六首についてお話させていただきました。
これからは寒くなる季節です。朝の本山のお御堂は広いのでとても寒いです。
お参りになるときは防寒の用意をしてお越しください。
2015年
11月
15日
日
愛知県へ (11月15日のおはなし)
今日はお昼前から晴れ間が広がり、天気予報通りになりましたね。
そんな中、私は愛知県の真宗寺院の報恩講のご法話に招かれ、午前中からお邪魔してきました。
お昼には写真のお食事をいただきました。報恩講のお非時です。
見るからに美味しそうでしょ☆
ご飯で隠れてますが、山菜のおひたしもあり、どれもみな美味しくまさに報恩講の味がしました。
ごちそうさまでした。
2015年
11月
14日
土
ムクロジの実 (11月14日のおはなし)
ムクロジの実を拾ってきました。
銀杏のような実のわたをとると中にはまっ黒な種があります。
この種をとりだして穴をあけて紐で繋げると、念珠のできあがりです。
銀杏ほどのかぶれはないと思いますが、匂いはなかなかのものです。
念珠ができあがるまでにはまだまだかかりそうですが、楽しい工程です。
このムクロジの実から念珠を作るのについては、
善導大師の「観念法門」の最後のところにある国の国王とお釈迦様の物語が書かれていて、その中にこのムクロジの実から念珠を作る話がでてきます。108つのムクロジの実を繋ぐ。幸いにもムクロジの実を拾うことができたので、今回挑戦してみました。完成が今から楽しみです。
2015年
11月
12日
木
珈琲サロンしました (11月12日のおはなし)
昨日の水曜日、
水曜珈琲サロンをおこないました。
しばらくお休みしていましたが、
しばらくぶりのことでした。
今回もIさんがお越し下さりました。
一緒に(宗正元師)の本を読み、珈琲を飲みあられをつまみながら
色々お話しました。
来週も行う予定です。とにかく参加者の少ない会です(寂)
ぜひお待ちしています。
(※急な事情でお休みすることがございますので、お越しになる前に電話にてご確認ください。)
2015年
11月
10日
火
法話の練習会 (11月10日のおはなし)
本日は午後から、有志の僧侶数名と法話の勉強会をしました。
実際の法話する機会を想定して、それぞれが法話し、聴聞し、互いに意見感想を言い合うという会です。
法話は一日にしてならず。ではないですが、お同行の皆様の前でお話させていただくには、やはり勉強しかありません。お坊さんの勉強会の一幕でした。
ちなみにこれをみられた僧侶の方で、一緒に勉強したい方、よければ
ご連絡お待ちしています。 なんまんだぶつ。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
08日
日
欣浄講でのご法話 (11月8日のおはなし)
昨日今日の2日間、
津市内安濃地区の高田派寺院で毎年持ち回りで勤修されている、
「欣浄講」という特別講にお招きを受け、ご法話をさせていただきました。この講は江戸時代末期に御本山から、この地区の高田派寺院九ヵ寺にいただいた「御書」(ごしょ)を機縁に、毎年持ち回りで法要するという講であります。私もご覧のように、高座に上がりお話をさせていただきましたが、しばし足の痺れも忘れ当御書の内容について味わさせていただきました。このような大切な法要にお話させていただき、とても有難いことでありました。世話方様をはじめお同行の皆さまには大変お世話になり有難うございました。 なんまんだぶつ。
2015年
11月
07日
土
報恩講めぐり2 (11月7日のおはなし2)
先ほどのブログの続きです。真宗十派の御本山の報恩講の日程です。
私自身にも初めての発見です。しかもこれをスタンプラリーで回るという、ある意味斬新な企画です。親鸞さまもさぞやおよろこびのことと思いますが、せっかく回る以上、スタンプもいいけど、お勤めと御法話を聴聞し、なによりそれぞれの御本山の報恩講を肌で感じる、これに過ぎたことはないですね。
私もこの機会にぜひお参りしたいと思っています。
2015年
11月
07日
土
報恩講めぐり (11月7日のおはなし)
本山専修寺より、真宗十派の報恩講のユニークな案内がきました。
各派の報恩講を巡りスタンプラリーできるそうです。
いかがでしょうか。
当ブログには写真が一枚しかアップできないので、次のブログで日程のアップをしてみます。
2015年
11月
02日
月
聞思 (11月2日のおはなし)
こんばんわ。今日はよく冷えた寒い一日でしたね。
12月の下旬の寒さだったとか。
そんな中、今日はこの言葉を書いてみました。
書いてみたなんていうと、あまりの下手な字で恥ずかしいですが、
「聞思」(もんし)と読みます。これは親鸞聖人の御本典「教行証文類」の総序にある「聞思して遅慮することなかれ。」の「聞思」です。
今日この文を読んでいた時に、いつ書いたのか、どこかの聞法会で教えてもらったのでしょう、この「聞思」の箇所に、(身をとおして聞く)と書いてありました。
「聞思」とは、身をとおして聞くことであります。なんまんだぶつ。
2015年
11月
01日
日
報恩講の法話 (11月1日のおはなし)
今日は午後から津市内の御寺院様の報恩講法要において、
御法話させていただきました。年に一度の大切な報恩講。大勢の参詣者の方々に、「王舎城の悲劇」の紙芝居を交えたお話を聞いていただきました。とても貴重なご法縁を賜り有難うございました。
なんまんだぶつ。ちなみに明日はまた御本山での晨朝法話をさせていただきます。よろしくお願いします。
2015年
10月
31日
土
報恩講出勤 (10月31日のおはなし)
今日、爽やかな土曜日の午後、
組内寺院の誓休寺様の報恩講に出勤しました。
欣念寺の所属する鈴鹿22組西は全部で七ヵ寺あり、報恩講にはそれぞれ出勤し合うことになっています。今年はその組内最初の報恩講がこちらの寺院様からであります。
報恩講(ほうおんこう)とは、宗祖親鸞聖人の御命日法要です。
真宗寺院にとって一年で最大の法要であります。
親鸞聖人の御命日は1月16日(旧暦11月28日)なので秋から冬にかけて各寺院で勤修されます。
ちなみに当寺は、今年は12月12日13日です。
またそれについては後日お知らせいたします。
2015年
10月
29日
木
お通夜にて (10月29日のおはなし)
ここ二三日お葬式が続きます。
先日組内の寺院の前住職がお亡くなりになり、日をおいての寺葬ということで、大きな葬儀がとりおこなわれます。私達組内の寺院の住職もその葬儀に出勤します。
そんな中、昨日は早朝より、来客がありました。まだ7時前でした。
応対にでますと、家族の方が亡くなったという葬儀の依頼でありました。その予定日時が前述の葬儀とは重なることはありませんが、とても近いものでありました。またその間に、ご本山で「教学院の研究発表」があり、今回は私も発表させていただくことになっています。
それにしても重なる時には重なるものですね。非常にタイトな日々がしばらく続きそうです。
写真の言葉は、昨夜その後述のお宅のお通夜の中で、私がご法話をしたときの、話の中での言葉です。
「生まれるということは、同時に死ぬことを約束されたことなのだ。生きているということは、いつも死ぬことを背負って生きていることなのだ。生と死は切り離せないのだから。生死(しょうじ)という言葉はそのことを教えてくれている言葉なのだ。・・・」という「生死」をもとに少しお話させていただきました。
それは決して他人ごとではありません。この忙しいと言っている私の今も生死の中を生きていることにはかわりないのですから。
なんまんだぶつ。
2015年
10月
26日
月
分別心 (10月26日のおはなし)
自分の幸せをどこで決めていますか?
幸せの基準はどこにありますか?
それがもし自分以外の人と比べて、自分が他人より劣っているならば、不幸と感じ、また自分の方が優れているなら、幸せと感じる。そんな幸せならば、それは本当の幸せではありません。
他人と常に比べて生きる心を、分別心といいます。他人だけではありません。物も出来事もすべて、自分を中心に他をみる心を分別心といいます。分別心は対立を生みます。対立する心に、本当の安らぎはありません。仏の心は無分別心です。対立している心に気づいていく心です。
2015年
10月
25日
日
永代経法会 (10月25日のおはなし)
昨日10月24日、午前午後と永代経法会を勤修しました。
写真は午後の部です。昨日はちょうど町内の行事(コスモス祭)と日が重なってしまいましたが、大勢の参詣者がおみえになりました。
また本山布教使の鷲山了悟師よりご法話をいただき、明朗で活発なお話態度にみなさん最後まで聞き入っておられるようでありました。
有難うございました。
ちなみに明日26日(月曜)は午前9時半より、
法話とヨガの集い を行ないます。
お時間のある女性の方、ぜひお待ちしています。
2015年
10月
23日
金
明日は永代経 (10月23日のおはなし)
明日は秋の永代経法会です。
ただ今準備中。
後から後から用意する仕事がでてきます。
何年していても慣れませんね。
2015年
10月
22日
木
往き易くして人なし (10月22日のおはなし)
こんばんわ。今日も快晴のお天気でした。
ここしばらく雨が降っていなので、すべてにおいて少し乾燥気味の気がしますが、どうでしょうか。
ところで今日は「易往而人」(いおうにむにん)と書いてみました。余り大きくすると字の下手さが際立つのでこの大きさですが、これは「仏説無量寿経」の中に出てくるお言葉で、極楽浄土は、
「往き易くして而(しか)も、往く人なし」という意味です。
つまりあえて簡単にいうならば、(極楽浄土へは人間の自分のつくった功徳や努力では往くことはできないが、阿弥陀仏のおはたらきでならとても簡単に往ける。)という意味です。
私たちは自分の力を頼りに生きていますので、時にはそれを過信することがあります。そんな私にこの言葉は、(自分の力も大事だけど、自分の力だけじゃどうにもならない時もあるよ。自分の力には限界があるよ)と教えてくださっています。
2015年
10月
21日
水
聴く (10月21日のおはなし)
聴くという字を書いてみました。
この字は、耳に十四の心、と書くのですね。
先日の「恥」は(耳に心)、でした。
この聴くは、(耳に十四の心)です。十四の心とはなんでしょうか。
ちなみにこの(きく)には、他にも「聞く」があります。
そして聞くと合わせて、「聴聞」といいます。これに(お)をつけたら
「お聴聞」、つまり仏法を聞くことです。
いずれにしても(きく)には(耳)がついています。
しかしただ耳で聞くのではないのでしょう。耳を通して全身で聴く。
そんな意味のある深い言葉でありましょう。
2015年
10月
20日
火
ちょっとドライブ (10月20日のおはなし)
今日は天気がいいので、空いた時間を利用して、友人とちょっとドライブしてきました。
途中なんともかわった地名を発見。思わずパチリ。
なんまんだぶつ
しかしよく見たら「イ」がないですね、笑。
それにしてもいい天気でした。この少し上にある(青土ダム)も周りの山の木々が紅葉で色づいてきていました。来月には素晴らしい紅葉の景色が見えると思います。
2015年
10月
19日
月
法話報告
昨日(10月18日)
鈴鹿市内の山の麓の御寺院様の法要にお邪魔して、ご法話をさせていただきました。
この春にもお邪魔していて
もうすっかり顔なじみの皆さまです。 貴重なご法縁を有難うございました。
2015年
10月
18日
日
無明 (10月18日のおはなし)
知り合いのご婦人が、家族が重い病になり、生活が一転し、毎日介護や経済的負担からくる精神的な負担で辛い日々が続いている様子。
最近そのお方は、ある信仰宗教に足繁く通っているとのことであります。それはなぜなのか。ひとえに家族の病気が治ってほしいからであります。そしてそのことをお祈りし、県外の本部道場まで足を運ぶこともあるそうなのです。
その団体の教祖様がいうそうです。病気になったのは、あなたや家族の信仰が足りないせいです。と。その方は最近増々その教団へ足を運んであるようです。
そんなとき私は真宗の僧侶として、その方にどう接すればいいのか、今も考えています。病気を治したい、というのは切実な願いです。
しかし問題は、病気が信仰していないせいである。と決めつけてしまうことです。だからあらためて信仰すれば、病気が治る、という発想です。なぜ病気になることが、信仰していないという原因になるのでしょうか。そうして信仰することで病気が治る。という発想も怪しいものです。問題は病気を悪いもので、排除すべきものとみていることです。
本当に信仰していたら病気にならないなら、教祖は死なないのでしょうか。そんなことありえません。みんな死ぬのです。
信仰で病気が治る、と信じることこそ信仰ではなく迷いです。
本来の信仰とは、拝むことと病気が治ることは関係のないことであると、気づくことこそが信仰する人です。
そんなこんなと考えているうちに写真の言葉が浮かんできました。
なんまんだぶつ。
2015年
10月
17日
土
恥 (10月17日のおはなし)
今日もいい天気。快晴の一日でした。
今日はお参りと、もうすぐある
(10月24日)永代経法会の準備、そして夜は父の誕生日のお祝いの食事会を家族で行いました。
父も81歳になります。いつまでもいてほしい気持と、それは叶わぬ思いであるという気持とがいつも私の心の中でせめぎ合っています。
ですからなおさらに今一緒にいられることが貴重な時間であることを思います。
今もなお、いや今だからこそ父から学ぶことがあると思っています。今しか聞けないことを父から聞きたいと思っています。しかしなかなかそうはいきません。父と面と向かうと、つい聞きそびれてしまい、些細なことでぶつかって疎ましく思ったり、腹を立てたりしてしまいます。
今日は「恥」という言葉をあらためて考えていました。
この字は不思議な字です。「耳」と「心」で「恥」です。心に耳を傾けると、恥ずかしいわが身が聞こえてくるのでしょうか。
恥ずかしいとは誰のこと?心に耳を傾けていったときに聞こえてきたことにたいして「恥ずかしい」と感じた人のこと。
2015年
10月
16日
金
大きな言葉 (10月16日のおはなし)その2
正信偈様、文類偈様の終わりのところにこのお言葉が出てまいります。
無辺の光、仏の智慧によって明らかにされた、おのれの悪は無辺であるということでした。
あまりにも大きくて、実感がない鈍感な私であります。
「たまには良いこともするさ」なんて思っている私です。
まったく驚きのお言葉に出遇いました。なんまんだぶつ。
2015年
10月
16日
金
老人施設へ法話ユニット訪問 (10月16日のおはなし)
昨日のことですが、福田洋山氏と二人での法話ユニット「三日坊主」で
鈴鹿市内の福祉施設(シトリン)さんへお邪魔してきました。
約40分間の、歌あり、掛け合い法話ありの楽しい法話ライブをさせていただきました。最後にアンコールまででて驚きました。
また機会があればお邪魔したいです。ありがとうございました。
2015年
10月
15日
木
順調とは (10月15日のおはなし)
今日も鈴鹿は快晴秋晴れ。
暑くもなく寒くもない、まさに秋本番という陽気です。
しかしもうじき木々が色づきはじめて、秋の終わりとともに、また寒い季節がやってきます。過ごしやすい陽気はそう長くは続きません。
どんなに秋の継続を願ってもそれはかないません。ならばその移り行く季節をそれぞれに巡っていきたいものです。それぞれをそのままに楽しんでいきたいものですね。
なんまんだぶつ。
思い通りになることが、順調でしょうか。
2015年
10月
14日
水
えらばず きらわず みすてず (10月14日のおはなし)
み仏のおこころは、この三つ。
私はというと、えらんで、
嫌いなものは、見捨てていく。
好きなものは、私のもの。
嫌いになれば、ポイ!
恐ろしいことに、それがたとえ自分の親であっても、子であっても、
煩わしい存在になれば、ポイ!したくなる。
そんな人生、選んで、嫌って、見捨てる人生。
でも選びたいのに、選べない時がきっとくる。嫌って見捨てたいのに
見捨てられない時が、きっとくる。いやもうきている。
自分が気づいていないだけ。
み仏のお心は、えらばず、きらわず、みすてず。
辛い時こそ、この言葉を繰り返そう。
えらばず、きらわず、みすてず。なんまんだぶつのお心は。
えらばず、きらわず、みすてず。なんまんだぶつ。
2015年
10月
12日
月
専門誌「月刊住職」に紹介されました
お寺の専門誌「月刊住職」10月号で紹介されました。
普通の本屋さんには置いてないようです。興味のある方はお寺にて
お読みください。
2015年
10月
08日
木
法話に伺いました (10月8日のおはなし)
今日は午後から、四日市市内の浄土真宗本願寺派の御寺院様にご法話に伺いました。
今日も秋晴れのいい天気でしたが、少し肌寒いくらいでした。季節は確実に冬に向かっていくのですね。そんな中皆様と一緒に楽しいひとときを過ごせました。 有難うございました。
それから明日は高田派本山で、朝のお勤めの後のご法話をさせていただきます。お近くの方ぜひお参りください。そしてブログみたよ。とお声かけいただけると嬉しいです。お待ちしています。
2015年
10月
05日
月
三尊仏法会 於神戸別院 (10月5日のおはなし)
昨日10月4日地元の神戸別院(かんべべついん)で、17年に一度の一光三尊仏の御開帳法会が勤修されました。
写真はその三尊仏が当日朝神戸別院にご到着されたところです。
供の者に担がれて別院本堂にお入りになるところです。
ところで三尊仏とは、一つの後背(後光)に、中心に阿弥陀如来、両脇に観音菩薩と勢至菩薩の三体の仏像がお立ちになっている仏像です。
伝承として親鸞聖人が信濃の善光寺より譲り受けられて直拝されていた仏像で、普段は栃木県の本寺専修寺に閉扉されて安置されていますが、江戸時代より17年に一度御開帳されて、全国の有縁の寺院に赴かれます。開帳期間は三年。今年が二年目で、来春栃木にお帰りになります。
2015年
10月
01日
木
ついたちまいり 獅子王の話 (10月1日のおはなし)
今日は10月1日です。
すっかり日が短くなってきました。お彼岸さんも終わり、これから次第に夜が長くなってくるのでしょう。
そして今日から衣替え。
たしかに肌寒くなってまいりました。今日のついたち参りも、皆さんでいただくお茶も冷たいのより、温かいお茶をだしました。
お茶が美味しい季節でもありますね。そしてそうこうしているひまにもう報恩講がきて年の瀬になるのでしょう。
ああなんて早いのでしょうね。光陰矢の如し。
そういえばお釈迦様の前世のお話である「ジャータカ物語」の中に
獅子の王様の話を思い出しました。
人間が獅子の王に戦いを挑んだとき、獅子の王が言いました。
「弓の名人を4人それぞれ同じ場所に立たせ、それぞれ別の四方に向かって同時に弓を放ったとき、私はそれをすべてとらえよう」
人間の王がこれに同意し実行させたとき、はたして獅子の王はこれらの矢を一瞬でとらえた。
人間の王が感心し、驚愕し、恐れをなして「あなた様のお力には敬服いたしました。この世で一番早いのはあなた様でありましょう。」
というと、獅子王は
「とんでもない、この私よりも早いものがあるのを知らないのか。
それは命の終わる早さである。」
といわれました。人間の王はこの旨を獅子王より学び、仏門に入られたということです。
2015年
9月
29日
火
草刈 (9月29日のおはなし)
そろそろ草がのびてきました。
いよいよ秋本番の今日この頃ですが、そのなかで草さんだけは、夏も秋も関係なし。またまたどんどんのびてきました。
そこでまたまた重い腰をあげて
草刈をはじめました。
まだまだですが今日は一応ここかで。
あちこちで秋の虫が鳴いていました。風も爽やかでした。
同じ草刈りでも夏よりずっと刈りやすかったです。
2015年
9月
27日
日
お月見 (9月27日のおはなし)
今夜は中秋の名月。
ということで、夕方まだ日も明るいうちから、山門前にお月見の準備をしておきました。
このあたりでは、お月見の夜になると、
子供たちが町内を回って、お菓子をもらって回る習慣があります。
そこで今夜も、回ってくる子供たちのためにお菓子を用意しておき、さきほど(18時)あたりが暗くなり、お月さんが東の空に浮かんで明りを灯しはじめたので、ふと当ブログに写真を載せようと、山門前にいくと、いつの間にかお菓子の大半がなくなっています。
もしかしてまだ明るいうちに子供たちがもらっていったのかな。
しかしお月見はお月様が出てからと決まっています。
もしかして知らない通行人の方が、もっていったのだろうか。
もしそうならせっかく子供たちのために置いておいたのに。酷いことをするものだ。意地の悪い私はついついそんなことを勘ぐってしまいます。
子供たちも複数で何組かで回っているので、気のはやい子がもう廻ってきたのでしょう。きっと。そんなわけで写真はちょっとさみしくみえるススキとお菓子の箱です。 まだ来ない子のためにもう少し補充しようか、でもそうしたら見張っていようかな。
そんな狭い心をもった私を、お月様が明るく照らしてくださっていました。 なんまんだぶつ。
2015年
9月
22日
火
お墓参り (9月22日のおはなし)
今日はお墓でお勤めの後、備え付けの掲示板に今月の言葉を張り替えました。いささか不安定な掲示板に見えますが、一応土中深くまで二本の柱を埋めて立ててあります。正面の建物は地蔵堂です。お地蔵さんの背中にもたれさせていただいています。なんまんだぶつ。
2015年
9月
21日
月
広報すずか (9月21日のおはなし)
鈴鹿市の広報すずかの9月20日号に、当寺院のことが載りました。
まちかど博物館のことです。
この広報誌は鈴鹿市が発行しているもので、市内全域に配布されているものと思います。これからどんな反応があるのか、楽しみというか、戦々恐々ですが、笑。
同行の方からは、広報でみたよ。と声をかけてくださることもあり、お話のきっかけになっています。
2017年
1月
16日
月
大雪になりました
昨日15日(日)朝起きてみると一面雪景色になっていました。
写真はお寺の裏の道路です。普段は二車線の直線道路なのに、ご覧のように道路の道幅がまったくわかりません。こんなに降ったのは何年ぶりでしょうか。今朝もまだ残っています。みなさまくれぐれも気をつけて通行してください。 またインフルエンザが流行っています。うがい手洗いを忘れずに。
なんまんだぶつ。
2017年
1月
12日
木
お寺の子供会
先日冬休みの最後の日に、お寺の子供会を行ないました。
今回も急な日程の決定だったので、参加者はやや少なめでしたが、皆さんと一緒にお勤めをして、お話、ゲームと楽しいひとときを過ごしました。
また次回もぜひお越しください。お待ちしています。なんまんだぶつ。
2016年
11月
02日
水
絵伝完成 (11月2日のブログ)
先日本山御用達の表具師さんにお願いしてありました
「親鸞聖人の四幅御絵伝」が完成したので、表具師さんより届けていただきました。(写真表具師様)
12月の10日11日の報恩講に
披露しますのでぜひお越しください。
それからすっかり寒くなってまいりました。風邪も流行っているようです。
もうやがて年の暮れです。早いですね。みなさまはいかがお過ごしですか? 私はなんまんだぶつの日暮しを忘れないで、歩ませてもらいたいと思っています。 なんまんだぶつ。
2016年
10月
17日
月
秋の永代経 (10月17日のブログ)
申し遅れてしまいましたが、先日秋の永代経法要を勤修致しました。
午前と午後の二回に分かれて行いました。午後は池田先生のお話を聴聞しました。
善導大師の「経」の教えからはじまり、自らの「死」について、永代経の意味も交えてお話いただきました。
私が思いますに、永代経とは(永代親鸞聖人の教えに遇う法要)だと思います。後の人々も親鸞聖人の教えを聞く機会をもうけていただく法縁であると思います。それがお亡くなりになられたご先祖の願いであると聞いていくのでありましょう。
当日は久しぶりの秋晴れでまさに永代経日和でありました。
コスモスも咲き、金木犀の香ばしい秋の薫りを風が運んできています。
なんまんだぶつ。
2016年
10月
09日
日
唯円大徳のお墓へ (10月9日のブログ)
先日奈良県の吉野下市にある
唯円大徳の終焉の地といわれている浄土真宗本願寺派立興寺様へ
お伺いいたしました。
ご住職様から唯円さまのお話をお
聞きして、その後お墓にも連れてもらいお参りさせていただきました。
その日は吉野方面は素晴らしい秋晴れでした。ここ下市は吉野川を中心に山々に囲まれた風光明媚な歴史ある町並みで、また訪ねたいと強く感じました。
それから吉野といえば名産「柿の葉寿司」ですが、その日も帰りに近くの食堂に寄りましたが、それとはまた別の季節ものの「鮎寿司」をいただきました。
香ばしくてとても美味しかったです。
2016年
10月
01日
土
ついたち参り (10月1日のブログ)
今日は恒例のついたち参りでした。
午前9時より勤行、そして法話。
その後は皆さんでお茶とお菓子で楽しく茶話会。
まだまだむし暑い日が続いてます。
体調に気をつけて今月も聞法していきたいと思います。なんまんだぶつ。
2016年
9月
17日
土
信楽峻麿師 (9月17日のブログ)
本日午後から
伊賀市内の御寺院様に御法話に伺いました。
お勤めの間、書院にて控えさせていただきました。
その床の間に、私の恩師信楽俊麿師のお軸が掛けられておりました。
先生はこちらの御寺院様とは特にゆかりがあるとのことです。久しぶりに先生とお遇いしたような気持ちになり、身の引き締まる思いがしました。
なんまんだぶつ。
2016年
9月
09日
金
栗の季節になりました。 ( 9月9日のブログ)
3年前に庭の片隅に植えた栗の木に栗が実りました。
今朝そばに寄ってみると、(栗の坊や)が顔をのぞかせていました。
手に取ってみると色つやが瑞々しくとても綺麗です。
ものぐさな私はこの一年なにも手入れもしないでいたのですが、こうして育っていたのですね。かわいい栗の坊やが朝日に照らされて微笑んでいるようです。 栗は幾重にも厚い皮がありますが、その中身は甘い実が入っています。外見は厳しいようですが、中身は優しく甘いのです。
よくたとえられますが、人はその反対に、外面は柔らかく甘いようでも、中身は厳しく冷たい。
「イガが中身のうわべの心今日より後は栗を見習え」、と昔のお説教で聞いたことがありました。
かわいい栗の坊やとの出遇いでありました。なんまんだぶつ。
2016年
8月
31日
水
お寺の子供会 (8月31日のブログ)
今日は午前中、
お寺の子供会を行ないました。
写真は子供達だけの
勤行しているところです。導師席にも男の子が座っています。
みんなで一緒に勤行しました。その後お話紙芝居、ゲーム、そして恒例の肝試し、お菓子阿弥陀くじ等、あっという間の楽しいひとときでした。
2016年
8月
30日
火
「寺院崩壊?」ご本山での研修会 (8月30日のブログ)
昨日午後から本山で本願寺派の御講師を招いての勉強会がありました。
テーマは(寺院崩壊?)でした。
とてもひきつけられる題名に多くの方が聴聞にみえました。
私はこの会の企画者の一人でしたので色々と裏方をしつつ、大勢の方々と共に聴聞させていただきました。寺院崩壊というこの時代に即した現実的なお話に、後の質疑応答でもかなり熱の入った意見や感想がありました。
2016年
8月
23日
火
遅ればせながらのお盆報告 (8月23日のブログ)
暑い毎日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。
それでもお盆が過ぎた頃から、なんとなく風も日差しも秋めいてきたような気がします。
そろそろ稲刈りも始まっていて、そばを通ると稲の香ばしい匂いがして秋を感じます。あれほど暑い夏をうっとうしく感じていたのに、秋の香りがすると寂しくなるのはなぜでしょう。
写真はこの13日のお盆法要「歓喜会」の様子です。高3と高1の息子たちも出勤して、お同行の皆さんと一緒にお勤めしました。
まだ残暑は続きますが、どうぞお体ご自愛下さい。なんまんだぶつ。
2016年
8月
12日
金
蟷螂(カマキリ)さんの盆参り (8月12日のブログ)
お盆の時期になりました。
今度はカマキリさんがこられました。
年に一度のお参りです。
カマキリさんと一緒にお参りしました。
なんまんだぶつ。
カマキリさんと一期一会の出遇いがありました。まだまだ暑い日が続きます。くれぐれも体調にはお気をつけてください。
2016年
7月
30日
土
蝉のお参り (7月30日のブログ)
梅雨も明けて、いよいよ夏真っ盛りです。
蝉さんもこの時とばかりに一斉に鳴きだしています。
私も草刈や木の枝の伐採と、少しずつですが、熱中症にならない程度に
行っています。そんなとき色々な生き物と出遇います。
蝉、蛙、雲雀、バッタ、蟻、蜂、百足、蛇、草の中に腰を下ろしてよく見るとまだまだ色んな虫や植物たちが寺の敷地にいることに気づかされます。
自分の家だ。とかいってますが、とんでもないんですね。本当は同じ地球の上に、勝手に自分の土地だとか言ってただけなんですね。自分のその中のちっぽけな存在でしかなかったのでしょう。
2016年
7月
18日
月
ご法話に伺いました (7月18日のブログ)
先日
兵庫県の本願寺派の御寺院様へ御法話に伺いました。
二日間の法要でしたの
で、お寺で泊めていただき、夜は法話の後、ご門徒の世話方さんも一緒に、お酒も交えての楽しい親睦会を開いていただきました。
貴重なご法縁をいただきましてありがとうございました。
2016年
7月
05日
火
木蓮さん? (7月5日のブログ)
境内の木蓮の花がまたまた咲きました。
たしか今年の4月ごろに咲いたのですが、今日ふと見ると、なんとまた咲いているではありませんか。それも一輪だけではありません。いくつも咲いています。今まで特に注意して観察していないのでわからないのですが、この時期に咲いたのは記憶にありません。
木蓮の開花時期について少し調べてみますと、3月〜5月ということでした。ということは今回の開花はどういうことなのでしょうか。
素人の私にはまったくわかりません。しかしこの暑い炎天の下で咲いてくれた姿は、見る者を爽やかにしてくれます。
木蓮さんありがとうございます。なんまんだぶつ。
2016年
7月
02日
土
菩提樹 (7月2日のブログ)
知り合いのお寺様から菩提樹の苗をいただいたので、昨日の「ついたち参り」の後、境内に植えました。
今朝もそうですが、昨日も暑い一日でした。お日様のお照りによって、菩提樹さんも少し元気がないようですが、なんとか育ってほしいと思います。
木は人と深く関わりがあります。この菩提樹の木も、お釈迦様が樹下で悟りを開かれたときの木であります。菩提樹の菩提とは、仏になるという意味があります。
木は人よりも長い年月を生きます。この菩提樹の木もこれから長い歳月を生き、いつまでも当寺を見守っていただきたいものです。
2016年
6月
29日
水
檀信徒研修会 (6月29日のブログ)
昨日(28日)、ご本山で檀信徒研修会がありました。
当寺からも二名の方が参加されました。私は午後の分科会の 助言者として参加させていただきました。
朝九時半の御影堂での開会式に始まり、高田会館ホールでの基調講演、
その後、午後から分科会、落語鑑賞会等、盛りだくさんの勉強会でありました。 各寺院の御同行さんが一同に会してご本山でお念仏の話を聞く。
とても有意義な時間でありました。残念ながら写真は撮れませんでしたが、また次回秋にもご報告させていただきます。
それから今日は水曜日。午後から珈琲サロンが本堂でございます。
2016年
6月
18日
土
雲雀(ひばり)の歌声 (6月18日のブログ)
今日は快晴。梅雨の合間のいい天気。
朝から草刈三昧。
暑いです。
しかしそんな中でも雲雀さんはピーチクパーチク大空のどこかで歌っています。
雲に雀と書いてひばり。なぜかまっすぐ上にしか飛ばないんですね。鳴くのは雄。巣を守るためとのことですが、そのひたむきさに、「あっぱれ」といいたくなります。今日のような快晴の青空に雲雀さんの歌声は本当に嬉しくなります。いつまでもこの歌声が聞こえることを願います。
私も「なんまんだぶつ」と称えて生きていきたいです。
2016年
6月
05日
日
どくだみ茶 (6月6日のおはなし)
境内にたくさんのドクダミが生えてきました。あまりにも多いので、今年はひとつドクダミ茶を作ってみようと思い立ちました。
写真は摘んできて葉っぱを洗ったところです。これから日陰に干します。
させ上手くいくでしょうか。
どくだみのなんとも言えない匂いに囲まれてのしばしの作業です。
2016年
5月
21日
土
初夏の頃 (5月21日のブログ)
以前にもこちらに書きましたが、あれからもやっぱり燕さんが本堂内にやってきます。
ここのところ暑い日が続きますので、ついお堂の正面の扉を開けておきますと、そこからいつの間にか燕さんが入ってくるのです。一度入るとなかなか出ていきません。
来てくれるのは嬉しいのですが、いろいろこちらの勝手な都合がありまして。ごめんなさい燕さん。せっかく遠いところを来てくれたのに、せめてお堂の外からお参りしていってくださいね。
つばめ飛ぶ初夏のお堂に青い空
2016年
5月
16日
月
名も知らぬ花 (5月16日のブログ)
今朝がた外に出てみると、家の前に小さな花が咲いていました。
写真に撮りましたが、実際にはもっと色が鮮明で葉は固い感じです。あきらかに草の類ではありません。
いつの間に咲いたのでしょうか。どこからか種が飛んできて生えたのだと思いますが、三つの花が仲良く咲いてくれています。花を見ると思わず優しい気持になりますね。不思議です。なんまんだぶつ。
2016年
5月
12日
木
ご本山の清掃奉仕 (5月12日のブログ)
今日は初夏の好天に恵まれた一日でした。
そんななか当寺のお同行のみなさんとご本山の清掃奉仕に行って参りました。
ご本山の清掃奉仕係の柏原氏のご指導のもと、爽やかな晴れわたった空の下で、みんなで草ひきをしました。その後は重要文化財の案内をしていただきました。普段一般には開放していないお庭や書院を拝見でき、とても貴重な体験をさせていただきました。
写真は、宗務院前での記念写真です。その後高田会館で昼食をいただきました。みなさまお疲れさまでした。
2016年
5月
08日
日
カリンの実なる (5月8日のブログ)
カリンの木に実がなってきました。
実は植えてから初めてのことです。以前は本堂の前にありましたが、本堂建て替えにともなって、庫裏の裏に移しましたが、それからは一度も花が咲くこともありませんでした。しかしこの春は違いました。にわかに綺麗な花を咲かせたのです。そうして花が散ったあとこのように実ができ、少しづつ大きくなってきました。そろそろ田も田植えが終わり、綺麗な水田になりました。夜には蛙さんが歌を歌っています。晴れた日中には雲雀さんが一日中歌を歌ってくれています。 これからは初夏ですね。
ちなみに明日は恒例の「法話とヨガの集い」です。よろしければぜひお待ちしています。
2016年
5月
02日
月
燕(ツバメ)さんも参拝 (5月2日のブログ)
一日遅れましたが、 昨日の「ついたち参り」の時に、燕さんが舞い込んできました。
堂内を勢いよく飛び回っていました。
写真を撮ろうとしましたが、なかなかうまく撮れませんでした。
その後そのままお勤めをしておりましたら、いつの間にかでていかれたようでした。
たいへん賑やかなついたち参りとなりました。
「賑やかなついたち参り初夏の風」
2016年
4月
29日
金
永代経法要 (4月29日のブログ)
今日は午前午後と永代経法要でした。
兵庫県から本願寺派の布教使、堀晃洋師にお越しいただきました。
堀氏は私の本願寺派時代からの友人で、今回久しぶりにお越しいただきお話をしていただきました。自らの体験をもとに仏法をやさしくお話いただきました。私もみなさんとともにお聴聞させていただきました。
次回は秋です。また連絡させていただきます。
2016年
4月
21日
木
永代経近づく (4月21日のブログ)
しばらくブログを書いていませんでした。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
九州では大きな地震があり、不安な日々が続いています。謹んでお見舞い申し上げます。
しかしこれは決して他人事ではありません。日本列島ならどこでも地震がおこります。今さらいうまでもないことかもしれません。なのについ自分だけは大丈夫だと思ってしまいます。それはなんの根拠もない妄想なのですね。あらためて色々考えさせられています。
それから永代経法要が近づいてまいりました。今回は兵庫県より私の本願寺派時代の布教使の友人にお話いただきます。お時間のある方はぜひお参りくださいますよう、お待ちしています。
2016年
4月
09日
土
桜咲く (4月9日のブログ)
当寺の片隅にあるしだれ桜も咲きました。
昨日は4月8日。お釈迦様の誕生日でした。
この日を「花まつり」といってお参りをします。
ここしばらく当ブログもお休みしていましたが、その間に桜も咲き、その他花梨、木蓮、ドウダンツツジなど春の花々が咲いてきました。
春は花の季節ですね。そんななかでお釈迦様が誕生された。まさに花まつりです。皆さんはお参りされましたか。4月8日という日はもう去りましたが、まだ花は咲き誇っています。花を見てその空気を感じながら、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと、お念仏。
咲き誇る花も念仏誕生会
2016年
4月
01日
金
恒例のついたち参り (4月1日金のブログ)
今日は4月1日。1日といえばついたち参りの日です。
朝9時に本堂で恒例のついたち参りを行ないました。
写真はお勤めの後の法話の様子です。今日は新しく完成した紙芝居をもとにお話させていただきました。我ながらなかなかうまく描けたように自己満足しています(笑)
ぜひまだお越しいただいていない方はぜひ来月お待ちしています。
2016年
3月
31日
木
春休み子供会 (3月31日木曜日のブログ)
今日は春休み子供会を行ないました。みなさん習い事や行事などで忙しいようで、参加者は少なかったですが、少ないながらも充実した時間でありました。
みんなでおつとめ、お話紙芝居、ゲーム、恒例のお寺内の肝試し、
お菓子阿弥陀くじ、そして後片付け掃除とあっという間の二時間でした。
次回は夏休みです。またぜひお待ちしています。
2016年
3月
27日
日
法話にお邪魔しました。(3月27日日曜日のブログ)
今日は午後から津市内の御寺院様に御法話でお邪魔しました。
春の永代経法要でありました。お庭に綺麗に桜が咲いて、春が来たことを感じました。もうすぐ入学式もあるでしょう。旅立ち、巣立ちの春ですね。
日本には四季があります。その四季に合わせた様々な行事があって、
四季折々の趣(おもむき)があります。春の永代経もその季節の大切な行事の一つですね。
2016年
3月
24日
木
お地蔵堂のお参り (3月24日のブログ)
昨年もこちらで紹介しましたが、今日3月24日はお寺に隣接する地蔵堂のお地蔵様の日です。
朝から町内の当番地区の方々が地蔵堂内の掃除やお花を活けたりと堂内を綺麗にしていただき、午後2時より皆様と一緒にお参りをいたしました。
今日は春の日差しではありましたが、風が強く寒い日でありました。
お地蔵様の前には子供たちの好きなお菓子が数多くお供えされ、お勤めのあとはみんなにお楽しみのお菓子配りでした。
お地蔵菩薩は子供を守る菩薩とのことです。やはり子供たちの賑やかな声がいっそうお参りに花を添えているようでした。
来週は子供会の予定です。
2016年
3月
22日
火
近況報告 (3月22日のブログ)
みなさまお久しぶりです。
しばらくこちらも更新していませんでした。
その間お彼岸の時期でもあり、色々と忙しくしておりました。
御法話で関東別院(東京都)にも御法話でうかがいました。
まだ彼岸中ですが、ところで今日は私の誕生日です。何回目かは、またお会いした時にでも(笑)
(誕生日という日は、親に感謝を伝える日です。)ということを聞いたことがあります。しかし実際には、照れくさくてなかなかいえません。
今日は亡き母の墓前にお参りをしました。生前には照れくさくてまともにお礼の言葉が言えませんでしたが、今は言えます。
亡くなったらもう終わりと、思う人もいるようですが、私はそうは思いません、今日もこうして母にお礼が言えました。
私の誕生日がちょうどお彼岸中ということもありますが、彼岸はやはり亡き人にお礼をいう日でありましょう。どんなお礼かというと、それは私を育てていただいた、そして今もなお育て続けてくださっていること、生かされていることへの感謝のお礼だと思います。
(写真は特に文面とは関係ありません、)
なんまんだぶつ。
2016年
3月
14日
月
法話とヨガの集い (3月14日のブログ)
今日は午前中、法話とヨガの集いを行ないました。
この集いは体の健康はいうまでもありませんが、心についても考える集いであります。
お寺で行うというのには意味があるのです。それは仏前ということで、まずお香を焚きます。お香の清らかな香りを感じ、そしてみなで声を出して読経します。声を出すというのもとても体には良いことだと思います。そして仏さまの教えを聞くことで、自分の見つめることをになります。そうしたこともこのヨガの集いならではのことであります。
機会がありましたらぜひお待ちしています。
2016年
3月
07日
月
掲示板のことば (3月7日のブログ)
しばらくぶりに掲示板のことばを書きかえました。
実際にはもっと前に書きかえてましたが、こちらにアップするのが遅れてしまいました。
この言葉の意味については、
「お寺の紹介」から「こころにのこることば」を開いていただきますと、書いてありますので、どうぞご一読ください。
2016年
3月
01日
火
ついたち参り (3月1日のブログ)
今日は3月の1日。毎月1日はついたち参りの日です。
今朝も朝9時より本堂で月例のついたち参りを行ないました。
今日まで涅槃軸を掛けてありましたので、涅槃絵の絵解き法話をさせていただきました。
その後みなさんでお茶とお菓子の茶話会でした。月に一度の顔合わせにもなり、参詣者も入れ替わりながらもみなさん少しづつ増えてまいりました。
来月も行いますので、ぜひお参りください。お待ちしています。
2016年
2月
25日
木
春よ来い (2月25日のブログ)
今から三年前に桜の苗木をいただき庭の片隅に植えておきましたが、
今朝見るとその桜が咲きほころんでおりました。まだまだ寒い日でありましたが、北風の中で咲いておりました。
♪春よ来い 早く来い♪ と桜が歌っているような気がしました。
ある先生が、この童謡「春よ来い」は浄土真宗においては「信心のうた」であると仰ってみえました。
歩きはじめたみーちゃん。南無阿弥陀仏の道を歩き始めた私。
辛く寒い北風がやがて転じて、そのまま春になる、花が咲く。
辛い寒さがそのまま転じていく道を歩き始めた念仏者。あなたも共に歩みましょう。
この桜は私にそう歌っくれています。
なんまんだぶつ。
2016年
2月
18日
木
紙芝居法話 (2月18日のブログ)
本日と明日の二日間、
午後から四日市市内の御寺院様で
御法話をさせていただきます。
その中では紙芝居の法話もさせていただきます。
今日はその初日、少し寒い風が吹いていましたが、日差しは温かく春の足音が聞こえてきそうな陽気でした。皆さんと一緒にお釈迦様の涅槃会について御相続させていただきました。
2016年
2月
15日
月
涅槃会(ねはんえ) (2月15日のブログ)
今日はお釈迦様がお亡くなりになった日。
釈迦仏が人として誕生し、私達を仏の世界へ導かれ、そして人としての寿命を終えられたのが今日2月の15日でありました。
仏が人としての一生を終えられ仏の世界へ帰ることを、涅槃に入るといいます。
当寺では今日は涅槃会として主だった法会は行いませんが、来月の3月1日の「ついたち参り」に参詣者の皆様と一緒に涅槃会のお勤めと、絵解きをさせていただきます。
お釈迦様は人間界に生を受け、その一生を仏道に精進されそして迷える人々を覚りの世界に導かれました。その一生はぼろの衣と托鉢の鉢のみ、生涯人々の救済に生きられ、その生ききられた最後のお姿が「涅槃図」なのです。この涅槃図には仏の大いなる教えが込められています。
ぜひ直にご覧になって、仏のお心を聞いて下さい。
2016年
2月
08日
月
前住職の十七回忌法要 (2月8日のブログ)
今日は午後1時半から
前住職良譲聖人の十七回忌法要を勤修しました。
主な参詣者は世話方様と前住職にゆかりのある方でした。
少人数ではありましたが和やかな雰囲気の中で執り行われました。
勤行の後、皆さんでお茶とお菓子をいただきながら、前住職の思い出話をしました。 今日は良く晴れた一日で、日差しが堂内に入り温かでありました。たまたま昨日いただいた月ヶ瀬の梅一枝を花瓶にさしましたが、いつの間にかもう春間近というかという感じですね。
2016年
2月
04日
木
御絵伝の絵が完成しました (2月4日のブログ)
いよいよ御絵伝の絵が完成しました。
かねてから日本画家の永都康之先生に親鸞聖人のご一生を四幅の正絹に描いていただいていましたが、今日完成した絵を先生よりもって来ていただきました。今後はこの絵を表具していただいて御絵伝の完成です。
それにしてもやはり素晴らしい絵でありました。人物の表情まで生き生きと描かれていて、観れば観るほど親鸞聖人の世界に引き込まれていきます。
永都先生有難うございました。
なおこの後表装して完成したお軸は、今年の12月10日11日の報恩講において皆様に観ていただきます。
特に12月10日には、永都康之先生にお越しいただいて、御絵伝完成の表彰式と先生による御絵伝のお話をしていただきます。
それについては追って連絡させていただきます。
2016年
2月
01日
月
ついたちまいり (2月1日のブログ)
今日は朝9時から月例の
「ついたちまいり」を行ないました。
新しい参詣者もお越しになり、
細く長く続いております。
さて今日から2月。ついたち参りの参詣者の方もおっしゃってみえましたが、お正月からもう一月たったのですね。時の流れはみな等しく過ぎていきます。しかも止まることはありません。毎日忙しく過ごしていると、ついついそのことを忘れてしまいますね。
こうしてお寺にお参りして、静かに自分をみつめてみますと、色々なことが気づかされてきます。
2016年
1月
31日
日
女人講 (1月31日のブログ)
今日はお昼前から女人講の集いがありました。
参加者は少な目でしたが、それでも皆さんこの日を楽しみにしておられたようで、終始にこやかな明るい雰囲気の中、進行していきました。
お勤めから紙芝居法話をし、そして場所を移して客殿で食事会と続きました。 お寺での食事を交えての集いというのは最近めっきり少なくなりました。
これはお迎えする寺院の側からすると、準備等で少々大変な面もありますが、しかしやはりみんなで食事するというのはいいものですね。
これからもぜひ続けていっていただきたいと思います。
2016年
1月
26日
火
紙芝居法話にうかがいました (1月26日のブログ)
今日は朝から伊賀市の真宗の
御寺院様に紙芝居法話にうかがいました。
そうしてお昼には精進料理(写真)をいただきました。
こちらのお料理はなんとすべてお寺での手作り。月に一度精進料理の会を開いてみえるそうで、毎回その季節に合わせて物語風に創作されているとのことでした。今回は近々の節分に合わせて豆の天ぷら、小豆のおかゆ、蕎麦掻の味噌汁、その他カボチャ、とろろ、聖護院大根などなど、見るのも食するのもすべて珍しく美味しいものばかりで、心も身体もほかほかになりました。
参加された皆様もきっと次回はどんな料理がいただけるのか、とても楽しみなことでしょう。私も毎月でもお邪魔したくなりました。
また客殿と大玄関には、私の大学時代の恩師である信楽峻麿先生の書が掛けられてあり、あらためてご縁の深さを感じました。
本当にお世話になりました。なんまんだぶつ。
2016年
1月
25日
月
またまた雪の朝 (1月25日のブログ)
昨日から天気予報では、今年一番の寒波がくるとのことでしたが、やはりそのとおりというか、先日のこのブログに続いてまたまたの朝になりました。 ただ先日よりも雪の量は少ないようですが、静な朝になりました。
今日は予定していた「法話とヨガの集い」は休みになりました。
それから「法話とヨガの集い」は2月はお休みです。3月に再会しますのでどうぞよろしくお願いいたします。
2016年
1月
20日
水
雪景色のお寺 (1月20日のブログ)
昨日から強い風が吹いていました。そして
今朝起きてびっくりです。ご覧のように雪景色となりました。
こちらで雪が積もるのは一年に一回あるかないかです。
今年は暖冬のようだったのでなおさら驚きです。今日は水曜日なので、
午後に珈琲サロンを開設する予定ですが、この雪ではどなたもお見えにならないかもしれませんね。
2016年
1月
16日
土
聖人御命日と山茶花(さざんか)
今日は親鸞聖人の御命日です。
御本山では報恩講が勤修されています。私はお参りできませんでしたが、本堂でいつもと変わらずお勤めをしました。その後境内の掃除をしました。
そんな中庭の片隅に山茶花の花が咲いていました。二年ほど前に一本だけ植えたのですが、その後元気がなく葉もしおれ気味でもはや枯れるのかと惜しんでいたのですが、この時期になって、つぼみがなりそしてこのように美しい花を咲かせてくれました。
それにしても花にも色々ありますが、冬の一番寒いこの時期に花を咲かせるというのは不思議な花ですね。寒風に揺れながらも耐え忍び、その中にほのかに照らすお日様ににっこりほほ笑んでいるかのようです。しかしそれゆえにいっそう美しく愛おしく見えます。
親鸞聖人のご一生もとても順風満帆な安定した一生ではなかったでしょう。
その生涯は冬の寒い北風の中を歩んでいかれたような厳しいご一生であったように思えます。心もとないときも、不安な足取りのときもあったでしょう。しかしそのなかにこそ歩むべき道を見つけられて、一歩一歩歩んでいかれたのでしょう。
吹き付ける北風のなか、わずかに一本だけの山茶花。
こころもとなく不安げに揺れている。しかし揺れつつも
その身は吹きつける強い風にもしなやかに しなやかに風にまかせて揺れている。
日は照らしその身をやさしくつつみこむ。日と風と冷たすぎる土と、しかしそのなかにこそある温かさに育てられて、やがて鮮やかな一輪の花をさかせてゆく。
その花の美しさはその花の歩みの強さの象徴でもある。
今日は宗祖の御命日。寒風に咲く山茶花に宗祖の生涯を憶う。
2016年
1月
07日
木
お寺の子供会 (1月7日)
今日は午前中、冬休みの子供会を行ないました。地元の子供たちのほかに津市からも来てくれました。
お勤めも子供達でおこない、その後紙芝居と法話、そしてゲーム遊び、お菓子阿弥陀くじ、後片づけ、最後にみんなで阿弥陀様にごあいさつ。
みなさん楽しんでくれたでしょうか。 これからも行いますのでぜひきてくださいね。
2016年
1月
01日
金
本年もよろしくお願い致します。 (2016年1月1日)
今日は一月一日。朝から本堂で元旦会を勤修しました。
「元旦や今日のいのちに遇う不思議」 の詩を黒板に書き、それについてお話しました。みなさんと一緒に新年をお迎えすることができ有難いことでありました。本堂には年回操出表を貼り出しています。今日一日はみなさんお参りに来られて操出表を見ていかれます。
それからいつも欣念寺のホームページにお越しくださるみなさま、本年もお変わりなくお越しいただきますよう、よろしくお願いいたします。
2015年
12月
24日
木
年末の大掃除 (12月24日)
昨日は23日。恒例の年末の大掃除をしました。地元の同行さんが30人以上来ていただき、境内から本堂内まで午前中しっかりと大掃除をしていただきました。有難うございました。境内と本堂がすっかり美しくなりました。
2015年
12月
19日
土
ムクロジ(無患子)の実 (12月19日)
まるで宝石のようです。
またまた拾ってきたムクロジの実を皮をむいて中の実を洗ったところです。
一見同じような実に見えますが、よく見ると一つ一つそれぞれ形も大きさも表面の柄もみな違います。なんとも可愛いムクロジの子供たちです。
いつのまにかこの実に魅せられてしまいました。
ムクロジの実は木が秋になると稔り、葉が黄色く色ずく頃に地面に落ちてきます。しかしその木がなかなか見つけられません。ある所にはあるのでしょうが、植物の本などで調べてみますと、神社や寺院の境内によくあるそうですが、実際に見つけたのはごくわずかでした。
もしご存知の方みえましたら、教えていただけたら有難いです。
2015年
12月
18日
金
ナンテンの朝 (12月18日)
ここしばらく暖かい日が続いていましたが、今朝は寒い朝になりました。
庭のナンテンの実も冷たい北風に
静かに揺れていました。
このナンテンの実ですが、もうあとわずかしかありません。鳥にでも食べられたのでしょうか。
わずかになってもナンテンは赤い実を朝日に光らせて今日という一日を迎えているようにみえました。
この実が鳥に食べられて、その糞がどこかの土地に種となって落とされて、そこにまた新しい命となって生れ出ることでしょう。
草花はなにもいいませんが、その姿に耳をすませば、色々なお話が聞こえてきます。 なんまんだぶつ。
2015年
12月
15日
火
報恩講 (12月15日のおはなし)
今日は15日。昨日から神戸別院の報恩講がはじまりました。
昨日は午前中に当寺で
「法話とヨガのつどい」をおこない、その後神戸別院での報恩講に出勤しました。
この報恩講は今日は午後と夜にお勤めがあり、明日は朝と午後に法座があります。今日明日は神戸別院での報恩講三昧であります。
ところで写真ですが、先日の当寺の報恩講での田中秀法師の法話の様子です。先生は藤谷秀道師と大石法夫師から仏法を学ばれたそうです。
なかでも大石先生からいわれた言葉
「下座の生活をしなさい。」 がとても印象にのこりました。
人をうらやみ、自らをはからい常に上に上にと目を向けて生きています。
そんな私に鉄槌のような重い言葉でありました。
2015年
12月
12日
土
報恩講 (12月12日のおはなし)
今日明日の二日間、当寺の報恩講です。
今日の御法話は田中秀法師でした。伊賀市の御寺院の住職ご夫妻も、田中先生のお話の聴聞に参詣くださり、たいへん賑やかで温かな報恩講となりました。
明日は私と洋山氏との法話ユニットです。
どうぞお楽しみに。なんまんだぶつ。
2015年
12月
10日
木
名古屋へ (12月10日のおはなし)
今日は朝から葬儀のために名古屋に向かいました。ご門徒さんではありませんが、ご縁ある方の葬儀です。鈴鹿から名古屋まではさほど時間はかかりませんが、法事で向かうのはこの秋以来久しぶりのことです。
そこでこの写真ですが、どこかわかりますか?
写真はすっかり様相が変わった名駅(名古屋駅)です。すっかり変わったといってももうずいぶん前からのことでしょうが、あらためて眺めてみると、私の子供の時の様相はすっかりなくなり、大きく変わったなということです。
葬儀の後しばらく市内観光をと思いましたが、明後日からの報恩講の準備もあり、早々に帰宅いたしました。
2015年
12月
09日
水
認知症サポーター (12月9日のおはなし)
昨夜は「認知症サポーター養成講座」が市役所であり、研修を受けてきました。
認知症について、まだ何も知らないことばかりですが、基礎の大事なところを教えていただきました。
受講終了後に「認知症サポーター」の証である写真のリングをいただきました。長寿大国である我が国にとって避けることのできない老いの問題。その中でも認知症の問題は深刻です。決して他人ごとではありません。
今回はそんな現状を知る良い機会と思い受講しました。
今後もできることなら継続していきたいと思います。
2015年
12月
06日
日
報恩講さん (12月6日のおはなし)
今日は一日白山町に行ってました。
お招きいただいた御寺院様の
報恩講での御法話をさせていただきました。
それにしても久しぶりの白山町。
さきに同じ白山町の法友のお寺によって、しばらくぶりの再会に積もる話に盛り上がりました。午後からは写真の御寺院の報恩講に伺いました。
思い出深い一日となりました。
2015年
12月
05日
土
菩提樹の実 (12月5日のおはなし)
12月にはいってめっきり寒くなってきましたね。
今日も一日風も強く吹いていました。日も短くなり、いよいよ本格的な冬到来でしょうか。
ところで写真ですが、親戚の寺院にある菩提樹の実を拾ってきました。手にのっているのがそれです。菩提樹も色々種類があるようですが、この菩提樹は何という種類なのかわかりません。しかし小さな実ではありますが、たくさん鈴なりになっていました。この実に穴をあけて百八つの念珠を作ろうと思っています。
同じく写真には、先日拾ってきたムクロジの実で作った念珠が写っています。 最近は念珠作りに励んでいます(笑)
ところで菩提樹はかつてお釈迦様が、木の下でお悟りを開かれた時の
木であります。そしてその日は12月8日でありました。もうすぐです。菩提はさとりのことです。そういうことからも菩提樹は昔から寺院の境内に植えられていることが多いのです。またその実は念珠として用いられています。
私事ですが、しばらくは念珠作りにハマりそうです。。
2015年
12月
03日
木
御本山での朝参り (12月3日のおはなし)
写真は今日の早朝の御本山の御影堂と大銀杏の木です。
今日は御本山の朝の法話をさせていただく日でしたので、早朝に御本山に向かいました。
冷たい雨が降っており、まもなく冬至ということもあり、まだ薄暗い中に、法中僧侶の玄関にはほのかに灯りがついており、まさに冬の朝と いう感じでありました。
ちなみに明日も同じく法話させていただきます。お時間ある方はぜひご参詣ください。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
29日
日
今日も報恩講 (11月29日のおはなし)
今日も午後から、昨日に引き続き
組内の御寺院の報恩講に出勤とその後の御法話をさせていただきました。今日は自作の親鸞聖人の紙芝居のなかで、「吉水編」をもとにおはなしさせていただきました。
境内には大きな銀杏の木があります。そろそろ落ち葉になるころでしょう。銀杏もそこここに落ちておりました。
2015年
11月
27日
金
ボランティア (11月27日のおはなし)
本日は市内の老人福祉施設から
お招きいただき、紙芝居法話に伺いました。みなさん私の話を最後まで聞いていただき、とても楽しく貴重な時間でありました。
こういった施設でのお話は、
場所が寺院ではないので、仏教の話を聞いたこともない人もいます。初めて仏教の話を聞く人もいるかもしれません。ゆっくりと大きな声でお話するのも基本でしょう。みなさんの反応を確かめながらのお話を心がけました。わずか1時間たらずのお話ですが、まさに全力投球です。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
26日
木
雨のち晴れ (11月26日のおはなし)
みなさんこんばんわ。昨日あたりからずいぶん寒くなりましたね。
こちらは昨日から雨で今朝もまだどんよりとした天気。
今日は午後から御本山での会議があり、少し早く着いたので、境内を散策しました。境内の銀杏の木はすっかり葉を落としていましたが、
もみじはまだ紅葉が残っていました。では写真をと思ったその時、ちょうどお日様が顔を出してくれました。遠くまで行かなくても、境内で充分気持のいい散歩ができました。さすがわ御本山。念仏のふるさと。
なんまんだぶつ。なんまんだぶつ。
2015年
11月
23日
月
今日も報恩講さん (11月23日のおはなし)
今日も午後から鈴鹿市内の御寺院様の報恩講にお邪魔して
御法話をさせていただきました。
山門前に掲示伝道の言葉がありました。
「人間だものと言い逃れ 人間のくせにと他をせめる」
う〜ん、思わず考えさせられました。
自分が失敗した時は、色々理由をみつけては「〜だからしかたなかった。」と言い逃れ。他人が失敗した時には「〜のくせに失敗して」と容赦なくせめ非難する。
車の運転中に、割り込まれたら腹を立て、自分が割り込むときは、
「仕方ないでしょ渋滞してるんだから」と開き直る。
とかく自分に甘く、他人に厳しい私であります。そんな私をいい当ててくださっている言葉に感じました。山門をくぐるとは、頭の下がらない私が、頭を下げていくことを教わる意味があるのかと思いました。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
22日
日
報恩講法話 (11月22日のおはなし)
今日は鈴鹿市内の真宗寺院の報恩講にお邪魔して、御法話をさせていただきました。
今日は婦人会の報恩講ということで女性の方ばかりの中約1時間
楽しい時間をご一緒に過ごしました。こちらの御寺院様はご覧のように鐘楼堂が新しくなり昨日はその落成法会も行われたそうです。小高い山の上に立つお寺です。
麓の家々では夕刻になると、お寺の鐘が聞こえてくることでしょう。
思わずあの童謡「夕焼け小焼け」を連想しました。残したい美しい日本の風景ですよね。また本日の報恩講も真宗寺院のある在所にとって、とても意義深いものであります。みなで親鸞さまのお参りにお寺に集まる。個人主義、プライベート、お一人様を声高に主張する現代。同行がみんなで集まってお参りし、お話を聞き話す。そこにはお一人様の寂しさはありません。共に生きているという実感を感じ、生きる自信をいただくような、血の通った集いであります。
こちらも決して絶やしてほしくない美しく尊い仏事であります。
2015年
11月
21日
土
宗教心とは (11月21日のおはなし)
(宗教心とは)特別な心ではないんです。人間であるならばちょっと真面目に考えたら、誰でもが願わずにおれない確かな生き方の欲求、それを宗教心という。
「私は無宗教だ」という人がいます。それはたぶん、今流行っている
あらゆる宗教を信じないというんでしょう。いわゆる既成宗教というものを全部信じない。それほどその人は痛切に本当の生き方を要求しておるのです。 (「仏法と世法」和田稠講述 聞思舎発行)
上の文章は、先日ネットを検索していてみつけたものです。
「私は無宗教だ」という言葉を実際に私も聞いたことがありました。
それについてそんなことをいう人を、私は軽視していました。
(人生を真剣に考えていないから そんなことをいうのだ)と。
しかしここに和田先生のお話を聞かせていただいて、あらためて「無宗教」について考えさせられています。
既成宗教のありかたを問われている大切な言葉であったのだと。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
19日
木
伝道掲示板 (11月19日のおはなし)
写真は今日ある御寺院の前を通った時に目に入った掲示板の言葉です。
「正しければ 負けなさい」
これはいったいどういう意味なのでしょう。今も考えさせられています。皆さんどうでしょうか。
すべからく人は、何ごとにおいても「自分は正しい」と思ってしまいがちであります。特に自信がそうです。自分が正しいと思っていると、そうでないものはみな間違ったものに見えてきます。自分の考えに合わないものはみな間違ったものであると見下げてしまいます。その考えには常に勝敗がついてまわります。自分は常に勝つ位置にいるのです。正しい=勝つです。
そんな生き方をしている自分にはこの言葉がまったく質の違う、別世界の国から発せられた言葉のように思えてきます。
「正しければ負ける」人々が集う世界を浄土というのでありましょう。
2015年
11月
16日
月
ムクロジの二連珠 (11月16日のおはなし)
先日拾ったムクロジの実を、
百八つ繋いで二連珠を作りました。
どうでしょうか。綺麗な黒いたまでしょ。できあがった二連珠を手にかけて「なんまんだぶつ」。
ところで今日は16日。親鸞さまの月命日です。私は御本山の朝のお勤めの法話をさせていただきました。
「正像末和讃」の第六首についてお話させていただきました。
これからは寒くなる季節です。朝の本山のお御堂は広いのでとても寒いです。
お参りになるときは防寒の用意をしてお越しください。
2015年
11月
15日
日
愛知県へ (11月15日のおはなし)
今日はお昼前から晴れ間が広がり、天気予報通りになりましたね。
そんな中、私は愛知県の真宗寺院の報恩講のご法話に招かれ、午前中からお邪魔してきました。
お昼には写真のお食事をいただきました。報恩講のお非時です。
見るからに美味しそうでしょ☆
ご飯で隠れてますが、山菜のおひたしもあり、どれもみな美味しくまさに報恩講の味がしました。
ごちそうさまでした。
2015年
11月
14日
土
ムクロジの実 (11月14日のおはなし)
ムクロジの実を拾ってきました。
銀杏のような実のわたをとると中にはまっ黒な種があります。
この種をとりだして穴をあけて紐で繋げると、念珠のできあがりです。
銀杏ほどのかぶれはないと思いますが、匂いはなかなかのものです。
念珠ができあがるまでにはまだまだかかりそうですが、楽しい工程です。
このムクロジの実から念珠を作るのについては、
善導大師の「観念法門」の最後のところにある国の国王とお釈迦様の物語が書かれていて、その中にこのムクロジの実から念珠を作る話がでてきます。108つのムクロジの実を繋ぐ。幸いにもムクロジの実を拾うことができたので、今回挑戦してみました。完成が今から楽しみです。
2015年
11月
12日
木
珈琲サロンしました (11月12日のおはなし)
昨日の水曜日、
水曜珈琲サロンをおこないました。
しばらくお休みしていましたが、
しばらくぶりのことでした。
今回もIさんがお越し下さりました。
一緒に(宗正元師)の本を読み、珈琲を飲みあられをつまみながら
色々お話しました。
来週も行う予定です。とにかく参加者の少ない会です(寂)
ぜひお待ちしています。
(※急な事情でお休みすることがございますので、お越しになる前に電話にてご確認ください。)
2015年
11月
10日
火
法話の練習会 (11月10日のおはなし)
本日は午後から、有志の僧侶数名と法話の勉強会をしました。
実際の法話する機会を想定して、それぞれが法話し、聴聞し、互いに意見感想を言い合うという会です。
法話は一日にしてならず。ではないですが、お同行の皆様の前でお話させていただくには、やはり勉強しかありません。お坊さんの勉強会の一幕でした。
ちなみにこれをみられた僧侶の方で、一緒に勉強したい方、よければ
ご連絡お待ちしています。 なんまんだぶつ。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
08日
日
欣浄講でのご法話 (11月8日のおはなし)
昨日今日の2日間、
津市内安濃地区の高田派寺院で毎年持ち回りで勤修されている、
「欣浄講」という特別講にお招きを受け、ご法話をさせていただきました。この講は江戸時代末期に御本山から、この地区の高田派寺院九ヵ寺にいただいた「御書」(ごしょ)を機縁に、毎年持ち回りで法要するという講であります。私もご覧のように、高座に上がりお話をさせていただきましたが、しばし足の痺れも忘れ当御書の内容について味わさせていただきました。このような大切な法要にお話させていただき、とても有難いことでありました。世話方様をはじめお同行の皆さまには大変お世話になり有難うございました。 なんまんだぶつ。
2015年
11月
07日
土
報恩講めぐり2 (11月7日のおはなし2)
先ほどのブログの続きです。真宗十派の御本山の報恩講の日程です。
私自身にも初めての発見です。しかもこれをスタンプラリーで回るという、ある意味斬新な企画です。親鸞さまもさぞやおよろこびのことと思いますが、せっかく回る以上、スタンプもいいけど、お勤めと御法話を聴聞し、なによりそれぞれの御本山の報恩講を肌で感じる、これに過ぎたことはないですね。
私もこの機会にぜひお参りしたいと思っています。
2015年
11月
07日
土
報恩講めぐり (11月7日のおはなし)
本山専修寺より、真宗十派の報恩講のユニークな案内がきました。
各派の報恩講を巡りスタンプラリーできるそうです。
いかがでしょうか。
当ブログには写真が一枚しかアップできないので、次のブログで日程のアップをしてみます。
2015年
11月
02日
月
聞思 (11月2日のおはなし)
こんばんわ。今日はよく冷えた寒い一日でしたね。
12月の下旬の寒さだったとか。
そんな中、今日はこの言葉を書いてみました。
書いてみたなんていうと、あまりの下手な字で恥ずかしいですが、
「聞思」(もんし)と読みます。これは親鸞聖人の御本典「教行証文類」の総序にある「聞思して遅慮することなかれ。」の「聞思」です。
今日この文を読んでいた時に、いつ書いたのか、どこかの聞法会で教えてもらったのでしょう、この「聞思」の箇所に、(身をとおして聞く)と書いてありました。
「聞思」とは、身をとおして聞くことであります。なんまんだぶつ。
2015年
11月
01日
日
報恩講の法話 (11月1日のおはなし)
今日は午後から津市内の御寺院様の報恩講法要において、
御法話させていただきました。年に一度の大切な報恩講。大勢の参詣者の方々に、「王舎城の悲劇」の紙芝居を交えたお話を聞いていただきました。とても貴重なご法縁を賜り有難うございました。
なんまんだぶつ。ちなみに明日はまた御本山での晨朝法話をさせていただきます。よろしくお願いします。
2015年
10月
31日
土
報恩講出勤 (10月31日のおはなし)
今日、爽やかな土曜日の午後、
組内寺院の誓休寺様の報恩講に出勤しました。
欣念寺の所属する鈴鹿22組西は全部で七ヵ寺あり、報恩講にはそれぞれ出勤し合うことになっています。今年はその組内最初の報恩講がこちらの寺院様からであります。
報恩講(ほうおんこう)とは、宗祖親鸞聖人の御命日法要です。
真宗寺院にとって一年で最大の法要であります。
親鸞聖人の御命日は1月16日(旧暦11月28日)なので秋から冬にかけて各寺院で勤修されます。
ちなみに当寺は、今年は12月12日13日です。
またそれについては後日お知らせいたします。
2015年
10月
29日
木
お通夜にて (10月29日のおはなし)
ここ二三日お葬式が続きます。
先日組内の寺院の前住職がお亡くなりになり、日をおいての寺葬ということで、大きな葬儀がとりおこなわれます。私達組内の寺院の住職もその葬儀に出勤します。
そんな中、昨日は早朝より、来客がありました。まだ7時前でした。
応対にでますと、家族の方が亡くなったという葬儀の依頼でありました。その予定日時が前述の葬儀とは重なることはありませんが、とても近いものでありました。またその間に、ご本山で「教学院の研究発表」があり、今回は私も発表させていただくことになっています。
それにしても重なる時には重なるものですね。非常にタイトな日々がしばらく続きそうです。
写真の言葉は、昨夜その後述のお宅のお通夜の中で、私がご法話をしたときの、話の中での言葉です。
「生まれるということは、同時に死ぬことを約束されたことなのだ。生きているということは、いつも死ぬことを背負って生きていることなのだ。生と死は切り離せないのだから。生死(しょうじ)という言葉はそのことを教えてくれている言葉なのだ。・・・」という「生死」をもとに少しお話させていただきました。
それは決して他人ごとではありません。この忙しいと言っている私の今も生死の中を生きていることにはかわりないのですから。
なんまんだぶつ。
2015年
10月
26日
月
分別心 (10月26日のおはなし)
自分の幸せをどこで決めていますか?
幸せの基準はどこにありますか?
それがもし自分以外の人と比べて、自分が他人より劣っているならば、不幸と感じ、また自分の方が優れているなら、幸せと感じる。そんな幸せならば、それは本当の幸せではありません。
他人と常に比べて生きる心を、分別心といいます。他人だけではありません。物も出来事もすべて、自分を中心に他をみる心を分別心といいます。分別心は対立を生みます。対立する心に、本当の安らぎはありません。仏の心は無分別心です。対立している心に気づいていく心です。
2015年
10月
25日
日
永代経法会 (10月25日のおはなし)
昨日10月24日、午前午後と永代経法会を勤修しました。
写真は午後の部です。昨日はちょうど町内の行事(コスモス祭)と日が重なってしまいましたが、大勢の参詣者がおみえになりました。
また本山布教使の鷲山了悟師よりご法話をいただき、明朗で活発なお話態度にみなさん最後まで聞き入っておられるようでありました。
有難うございました。
ちなみに明日26日(月曜)は午前9時半より、
法話とヨガの集い を行ないます。
お時間のある女性の方、ぜひお待ちしています。
2015年
10月
23日
金
明日は永代経 (10月23日のおはなし)
明日は秋の永代経法会です。
ただ今準備中。
後から後から用意する仕事がでてきます。
何年していても慣れませんね。
2015年
10月
22日
木
往き易くして人なし (10月22日のおはなし)
こんばんわ。今日も快晴のお天気でした。
ここしばらく雨が降っていなので、すべてにおいて少し乾燥気味の気がしますが、どうでしょうか。
ところで今日は「易往而人」(いおうにむにん)と書いてみました。余り大きくすると字の下手さが際立つのでこの大きさですが、これは「仏説無量寿経」の中に出てくるお言葉で、極楽浄土は、
「往き易くして而(しか)も、往く人なし」という意味です。
つまりあえて簡単にいうならば、(極楽浄土へは人間の自分のつくった功徳や努力では往くことはできないが、阿弥陀仏のおはたらきでならとても簡単に往ける。)という意味です。
私たちは自分の力を頼りに生きていますので、時にはそれを過信することがあります。そんな私にこの言葉は、(自分の力も大事だけど、自分の力だけじゃどうにもならない時もあるよ。自分の力には限界があるよ)と教えてくださっています。
2015年
10月
21日
水
聴く (10月21日のおはなし)
聴くという字を書いてみました。
この字は、耳に十四の心、と書くのですね。
先日の「恥」は(耳に心)、でした。
この聴くは、(耳に十四の心)です。十四の心とはなんでしょうか。
ちなみにこの(きく)には、他にも「聞く」があります。
そして聞くと合わせて、「聴聞」といいます。これに(お)をつけたら
「お聴聞」、つまり仏法を聞くことです。
いずれにしても(きく)には(耳)がついています。
しかしただ耳で聞くのではないのでしょう。耳を通して全身で聴く。
そんな意味のある深い言葉でありましょう。
2015年
10月
20日
火
ちょっとドライブ (10月20日のおはなし)
今日は天気がいいので、空いた時間を利用して、友人とちょっとドライブしてきました。
途中なんともかわった地名を発見。思わずパチリ。
なんまんだぶつ
しかしよく見たら「イ」がないですね、笑。
それにしてもいい天気でした。この少し上にある(青土ダム)も周りの山の木々が紅葉で色づいてきていました。来月には素晴らしい紅葉の景色が見えると思います。
2015年
10月
19日
月
法話報告
昨日(10月18日)
鈴鹿市内の山の麓の御寺院様の法要にお邪魔して、ご法話をさせていただきました。
この春にもお邪魔していて
もうすっかり顔なじみの皆さまです。 貴重なご法縁を有難うございました。
2015年
10月
18日
日
無明 (10月18日のおはなし)
知り合いのご婦人が、家族が重い病になり、生活が一転し、毎日介護や経済的負担からくる精神的な負担で辛い日々が続いている様子。
最近そのお方は、ある信仰宗教に足繁く通っているとのことであります。それはなぜなのか。ひとえに家族の病気が治ってほしいからであります。そしてそのことをお祈りし、県外の本部道場まで足を運ぶこともあるそうなのです。
その団体の教祖様がいうそうです。病気になったのは、あなたや家族の信仰が足りないせいです。と。その方は最近増々その教団へ足を運んであるようです。
そんなとき私は真宗の僧侶として、その方にどう接すればいいのか、今も考えています。病気を治したい、というのは切実な願いです。
しかし問題は、病気が信仰していないせいである。と決めつけてしまうことです。だからあらためて信仰すれば、病気が治る、という発想です。なぜ病気になることが、信仰していないという原因になるのでしょうか。そうして信仰することで病気が治る。という発想も怪しいものです。問題は病気を悪いもので、排除すべきものとみていることです。
本当に信仰していたら病気にならないなら、教祖は死なないのでしょうか。そんなことありえません。みんな死ぬのです。
信仰で病気が治る、と信じることこそ信仰ではなく迷いです。
本来の信仰とは、拝むことと病気が治ることは関係のないことであると、気づくことこそが信仰する人です。
そんなこんなと考えているうちに写真の言葉が浮かんできました。
なんまんだぶつ。
2015年
10月
17日
土
恥 (10月17日のおはなし)
今日もいい天気。快晴の一日でした。
今日はお参りと、もうすぐある
(10月24日)永代経法会の準備、そして夜は父の誕生日のお祝いの食事会を家族で行いました。
父も81歳になります。いつまでもいてほしい気持と、それは叶わぬ思いであるという気持とがいつも私の心の中でせめぎ合っています。
ですからなおさらに今一緒にいられることが貴重な時間であることを思います。
今もなお、いや今だからこそ父から学ぶことがあると思っています。今しか聞けないことを父から聞きたいと思っています。しかしなかなかそうはいきません。父と面と向かうと、つい聞きそびれてしまい、些細なことでぶつかって疎ましく思ったり、腹を立てたりしてしまいます。
今日は「恥」という言葉をあらためて考えていました。
この字は不思議な字です。「耳」と「心」で「恥」です。心に耳を傾けると、恥ずかしいわが身が聞こえてくるのでしょうか。
恥ずかしいとは誰のこと?心に耳を傾けていったときに聞こえてきたことにたいして「恥ずかしい」と感じた人のこと。
2015年
10月
16日
金
大きな言葉 (10月16日のおはなし)その2
正信偈様、文類偈様の終わりのところにこのお言葉が出てまいります。
無辺の光、仏の智慧によって明らかにされた、おのれの悪は無辺であるということでした。
あまりにも大きくて、実感がない鈍感な私であります。
「たまには良いこともするさ」なんて思っている私です。
まったく驚きのお言葉に出遇いました。なんまんだぶつ。
2015年
10月
16日
金
老人施設へ法話ユニット訪問 (10月16日のおはなし)
昨日のことですが、福田洋山氏と二人での法話ユニット「三日坊主」で
鈴鹿市内の福祉施設(シトリン)さんへお邪魔してきました。
約40分間の、歌あり、掛け合い法話ありの楽しい法話ライブをさせていただきました。最後にアンコールまででて驚きました。
また機会があればお邪魔したいです。ありがとうございました。
2015年
10月
15日
木
順調とは (10月15日のおはなし)
今日も鈴鹿は快晴秋晴れ。
暑くもなく寒くもない、まさに秋本番という陽気です。
しかしもうじき木々が色づきはじめて、秋の終わりとともに、また寒い季節がやってきます。過ごしやすい陽気はそう長くは続きません。
どんなに秋の継続を願ってもそれはかないません。ならばその移り行く季節をそれぞれに巡っていきたいものです。それぞれをそのままに楽しんでいきたいものですね。
なんまんだぶつ。
思い通りになることが、順調でしょうか。
2015年
10月
14日
水
えらばず きらわず みすてず (10月14日のおはなし)
み仏のおこころは、この三つ。
私はというと、えらんで、
嫌いなものは、見捨てていく。
好きなものは、私のもの。
嫌いになれば、ポイ!
恐ろしいことに、それがたとえ自分の親であっても、子であっても、
煩わしい存在になれば、ポイ!したくなる。
そんな人生、選んで、嫌って、見捨てる人生。
でも選びたいのに、選べない時がきっとくる。嫌って見捨てたいのに
見捨てられない時が、きっとくる。いやもうきている。
自分が気づいていないだけ。
み仏のお心は、えらばず、きらわず、みすてず。
辛い時こそ、この言葉を繰り返そう。
えらばず、きらわず、みすてず。なんまんだぶつのお心は。
えらばず、きらわず、みすてず。なんまんだぶつ。
2015年
10月
12日
月
専門誌「月刊住職」に紹介されました
お寺の専門誌「月刊住職」10月号で紹介されました。
普通の本屋さんには置いてないようです。興味のある方はお寺にて
お読みください。
2015年
10月
08日
木
法話に伺いました (10月8日のおはなし)
今日は午後から、四日市市内の浄土真宗本願寺派の御寺院様にご法話に伺いました。
今日も秋晴れのいい天気でしたが、少し肌寒いくらいでした。季節は確実に冬に向かっていくのですね。そんな中皆様と一緒に楽しいひとときを過ごせました。 有難うございました。
それから明日は高田派本山で、朝のお勤めの後のご法話をさせていただきます。お近くの方ぜひお参りください。そしてブログみたよ。とお声かけいただけると嬉しいです。お待ちしています。
2015年
10月
05日
月
三尊仏法会 於神戸別院 (10月5日のおはなし)
昨日10月4日地元の神戸別院(かんべべついん)で、17年に一度の一光三尊仏の御開帳法会が勤修されました。
写真はその三尊仏が当日朝神戸別院にご到着されたところです。
供の者に担がれて別院本堂にお入りになるところです。
ところで三尊仏とは、一つの後背(後光)に、中心に阿弥陀如来、両脇に観音菩薩と勢至菩薩の三体の仏像がお立ちになっている仏像です。
伝承として親鸞聖人が信濃の善光寺より譲り受けられて直拝されていた仏像で、普段は栃木県の本寺専修寺に閉扉されて安置されていますが、江戸時代より17年に一度御開帳されて、全国の有縁の寺院に赴かれます。開帳期間は三年。今年が二年目で、来春栃木にお帰りになります。
2015年
10月
01日
木
ついたちまいり 獅子王の話 (10月1日のおはなし)
今日は10月1日です。
すっかり日が短くなってきました。お彼岸さんも終わり、これから次第に夜が長くなってくるのでしょう。
そして今日から衣替え。
たしかに肌寒くなってまいりました。今日のついたち参りも、皆さんでいただくお茶も冷たいのより、温かいお茶をだしました。
お茶が美味しい季節でもありますね。そしてそうこうしているひまにもう報恩講がきて年の瀬になるのでしょう。
ああなんて早いのでしょうね。光陰矢の如し。
そういえばお釈迦様の前世のお話である「ジャータカ物語」の中に
獅子の王様の話を思い出しました。
人間が獅子の王に戦いを挑んだとき、獅子の王が言いました。
「弓の名人を4人それぞれ同じ場所に立たせ、それぞれ別の四方に向かって同時に弓を放ったとき、私はそれをすべてとらえよう」
人間の王がこれに同意し実行させたとき、はたして獅子の王はこれらの矢を一瞬でとらえた。
人間の王が感心し、驚愕し、恐れをなして「あなた様のお力には敬服いたしました。この世で一番早いのはあなた様でありましょう。」
というと、獅子王は
「とんでもない、この私よりも早いものがあるのを知らないのか。
それは命の終わる早さである。」
といわれました。人間の王はこの旨を獅子王より学び、仏門に入られたということです。
2015年
9月
29日
火
草刈 (9月29日のおはなし)
そろそろ草がのびてきました。
いよいよ秋本番の今日この頃ですが、そのなかで草さんだけは、夏も秋も関係なし。またまたどんどんのびてきました。
そこでまたまた重い腰をあげて
草刈をはじめました。
まだまだですが今日は一応ここかで。
あちこちで秋の虫が鳴いていました。風も爽やかでした。
同じ草刈りでも夏よりずっと刈りやすかったです。
2015年
9月
27日
日
お月見 (9月27日のおはなし)
今夜は中秋の名月。
ということで、夕方まだ日も明るいうちから、山門前にお月見の準備をしておきました。
このあたりでは、お月見の夜になると、
子供たちが町内を回って、お菓子をもらって回る習慣があります。
そこで今夜も、回ってくる子供たちのためにお菓子を用意しておき、さきほど(18時)あたりが暗くなり、お月さんが東の空に浮かんで明りを灯しはじめたので、ふと当ブログに写真を載せようと、山門前にいくと、いつの間にかお菓子の大半がなくなっています。
もしかしてまだ明るいうちに子供たちがもらっていったのかな。
しかしお月見はお月様が出てからと決まっています。
もしかして知らない通行人の方が、もっていったのだろうか。
もしそうならせっかく子供たちのために置いておいたのに。酷いことをするものだ。意地の悪い私はついついそんなことを勘ぐってしまいます。
子供たちも複数で何組かで回っているので、気のはやい子がもう廻ってきたのでしょう。きっと。そんなわけで写真はちょっとさみしくみえるススキとお菓子の箱です。 まだ来ない子のためにもう少し補充しようか、でもそうしたら見張っていようかな。
そんな狭い心をもった私を、お月様が明るく照らしてくださっていました。 なんまんだぶつ。
2015年
9月
22日
火
お墓参り (9月22日のおはなし)
今日はお墓でお勤めの後、備え付けの掲示板に今月の言葉を張り替えました。いささか不安定な掲示板に見えますが、一応土中深くまで二本の柱を埋めて立ててあります。正面の建物は地蔵堂です。お地蔵さんの背中にもたれさせていただいています。なんまんだぶつ。
2015年
9月
21日
月
広報すずか (9月21日のおはなし)
鈴鹿市の広報すずかの9月20日号に、当寺院のことが載りました。
まちかど博物館のことです。
この広報誌は鈴鹿市が発行しているもので、市内全域に配布されているものと思います。これからどんな反応があるのか、楽しみというか、戦々恐々ですが、笑。
同行の方からは、広報でみたよ。と声をかけてくださることもあり、お話のきっかけになっています。
報恩講
12月13、14日の両日当寺で報恩講法会が勤修されます。
13日は午後1時半からです。
お話は森愚英師(大谷派松林寺)です。
師はあの訓覇信雄師や大石法夫師の直弟子であり、今も田中秀法師の会を毎月行われている私の善知識様でもあります。
14日は午前10時からです。
お話は藤浦弘導師(高田派浄国寺)です。
師は私の先輩です。
また13日は覚如上人の式文の初段を、14日は三段を拝読いたします。
そろそろ本堂の荘厳などお飾りの準備もはじめます。同行の皆様への案内や書状の作成などすることはたくさんあります。
この一年の寺院における最大の仏事です。
毎年緊張しそして心温まる冬の風物詩であります。
なんまんだぶつ
2017年
1月
16日
月
大雪になりました
昨日15日(日)朝起きてみると一面雪景色になっていました。
写真はお寺の裏の道路です。普段は二車線の直線道路なのに、ご覧のように道路の道幅がまったくわかりません。こんなに降ったのは何年ぶりでしょうか。今朝もまだ残っています。みなさまくれぐれも気をつけて通行してください。 またインフルエンザが流行っています。うがい手洗いを忘れずに。
なんまんだぶつ。
2017年
1月
12日
木
お寺の子供会
先日冬休みの最後の日に、お寺の子供会を行ないました。
今回も急な日程の決定だったので、参加者はやや少なめでしたが、皆さんと一緒にお勤めをして、お話、ゲームと楽しいひとときを過ごしました。
また次回もぜひお越しください。お待ちしています。なんまんだぶつ。
2016年
11月
02日
水
絵伝完成 (11月2日のブログ)
先日本山御用達の表具師さんにお願いしてありました
「親鸞聖人の四幅御絵伝」が完成したので、表具師さんより届けていただきました。(写真表具師様)
12月の10日11日の報恩講に
披露しますのでぜひお越しください。
それからすっかり寒くなってまいりました。風邪も流行っているようです。
もうやがて年の暮れです。早いですね。みなさまはいかがお過ごしですか? 私はなんまんだぶつの日暮しを忘れないで、歩ませてもらいたいと思っています。 なんまんだぶつ。
2016年
10月
17日
月
秋の永代経 (10月17日のブログ)
申し遅れてしまいましたが、先日秋の永代経法要を勤修致しました。
午前と午後の二回に分かれて行いました。午後は池田先生のお話を聴聞しました。
善導大師の「経」の教えからはじまり、自らの「死」について、永代経の意味も交えてお話いただきました。
私が思いますに、永代経とは(永代親鸞聖人の教えに遇う法要)だと思います。後の人々も親鸞聖人の教えを聞く機会をもうけていただく法縁であると思います。それがお亡くなりになられたご先祖の願いであると聞いていくのでありましょう。
当日は久しぶりの秋晴れでまさに永代経日和でありました。
コスモスも咲き、金木犀の香ばしい秋の薫りを風が運んできています。
なんまんだぶつ。
2016年
10月
09日
日
唯円大徳のお墓へ (10月9日のブログ)
先日奈良県の吉野下市にある
唯円大徳の終焉の地といわれている浄土真宗本願寺派立興寺様へ
お伺いいたしました。
ご住職様から唯円さまのお話をお
聞きして、その後お墓にも連れてもらいお参りさせていただきました。
その日は吉野方面は素晴らしい秋晴れでした。ここ下市は吉野川を中心に山々に囲まれた風光明媚な歴史ある町並みで、また訪ねたいと強く感じました。
それから吉野といえば名産「柿の葉寿司」ですが、その日も帰りに近くの食堂に寄りましたが、それとはまた別の季節ものの「鮎寿司」をいただきました。
香ばしくてとても美味しかったです。
2016年
10月
01日
土
ついたち参り (10月1日のブログ)
今日は恒例のついたち参りでした。
午前9時より勤行、そして法話。
その後は皆さんでお茶とお菓子で楽しく茶話会。
まだまだむし暑い日が続いてます。
体調に気をつけて今月も聞法していきたいと思います。なんまんだぶつ。
2016年
9月
17日
土
信楽峻麿師 (9月17日のブログ)
本日午後から
伊賀市内の御寺院様に御法話に伺いました。
お勤めの間、書院にて控えさせていただきました。
その床の間に、私の恩師信楽俊麿師のお軸が掛けられておりました。
先生はこちらの御寺院様とは特にゆかりがあるとのことです。久しぶりに先生とお遇いしたような気持ちになり、身の引き締まる思いがしました。
なんまんだぶつ。
2016年
9月
09日
金
栗の季節になりました。 ( 9月9日のブログ)
3年前に庭の片隅に植えた栗の木に栗が実りました。
今朝そばに寄ってみると、(栗の坊や)が顔をのぞかせていました。
手に取ってみると色つやが瑞々しくとても綺麗です。
ものぐさな私はこの一年なにも手入れもしないでいたのですが、こうして育っていたのですね。かわいい栗の坊やが朝日に照らされて微笑んでいるようです。 栗は幾重にも厚い皮がありますが、その中身は甘い実が入っています。外見は厳しいようですが、中身は優しく甘いのです。
よくたとえられますが、人はその反対に、外面は柔らかく甘いようでも、中身は厳しく冷たい。
「イガが中身のうわべの心今日より後は栗を見習え」、と昔のお説教で聞いたことがありました。
かわいい栗の坊やとの出遇いでありました。なんまんだぶつ。
2016年
8月
31日
水
お寺の子供会 (8月31日のブログ)
今日は午前中、
お寺の子供会を行ないました。
写真は子供達だけの
勤行しているところです。導師席にも男の子が座っています。
みんなで一緒に勤行しました。その後お話紙芝居、ゲーム、そして恒例の肝試し、お菓子阿弥陀くじ等、あっという間の楽しいひとときでした。
2016年
8月
30日
火
「寺院崩壊?」ご本山での研修会 (8月30日のブログ)
昨日午後から本山で本願寺派の御講師を招いての勉強会がありました。
テーマは(寺院崩壊?)でした。
とてもひきつけられる題名に多くの方が聴聞にみえました。
私はこの会の企画者の一人でしたので色々と裏方をしつつ、大勢の方々と共に聴聞させていただきました。寺院崩壊というこの時代に即した現実的なお話に、後の質疑応答でもかなり熱の入った意見や感想がありました。
2016年
8月
23日
火
遅ればせながらのお盆報告 (8月23日のブログ)
暑い毎日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。
それでもお盆が過ぎた頃から、なんとなく風も日差しも秋めいてきたような気がします。
そろそろ稲刈りも始まっていて、そばを通ると稲の香ばしい匂いがして秋を感じます。あれほど暑い夏をうっとうしく感じていたのに、秋の香りがすると寂しくなるのはなぜでしょう。
写真はこの13日のお盆法要「歓喜会」の様子です。高3と高1の息子たちも出勤して、お同行の皆さんと一緒にお勤めしました。
まだ残暑は続きますが、どうぞお体ご自愛下さい。なんまんだぶつ。
2016年
8月
12日
金
蟷螂(カマキリ)さんの盆参り (8月12日のブログ)
お盆の時期になりました。
今度はカマキリさんがこられました。
年に一度のお参りです。
カマキリさんと一緒にお参りしました。
なんまんだぶつ。
カマキリさんと一期一会の出遇いがありました。まだまだ暑い日が続きます。くれぐれも体調にはお気をつけてください。
2016年
7月
30日
土
蝉のお参り (7月30日のブログ)
梅雨も明けて、いよいよ夏真っ盛りです。
蝉さんもこの時とばかりに一斉に鳴きだしています。
私も草刈や木の枝の伐採と、少しずつですが、熱中症にならない程度に
行っています。そんなとき色々な生き物と出遇います。
蝉、蛙、雲雀、バッタ、蟻、蜂、百足、蛇、草の中に腰を下ろしてよく見るとまだまだ色んな虫や植物たちが寺の敷地にいることに気づかされます。
自分の家だ。とかいってますが、とんでもないんですね。本当は同じ地球の上に、勝手に自分の土地だとか言ってただけなんですね。自分のその中のちっぽけな存在でしかなかったのでしょう。
2016年
7月
18日
月
ご法話に伺いました (7月18日のブログ)
先日
兵庫県の本願寺派の御寺院様へ御法話に伺いました。
二日間の法要でしたの
で、お寺で泊めていただき、夜は法話の後、ご門徒の世話方さんも一緒に、お酒も交えての楽しい親睦会を開いていただきました。
貴重なご法縁をいただきましてありがとうございました。
2016年
7月
05日
火
木蓮さん? (7月5日のブログ)
境内の木蓮の花がまたまた咲きました。
たしか今年の4月ごろに咲いたのですが、今日ふと見ると、なんとまた咲いているではありませんか。それも一輪だけではありません。いくつも咲いています。今まで特に注意して観察していないのでわからないのですが、この時期に咲いたのは記憶にありません。
木蓮の開花時期について少し調べてみますと、3月〜5月ということでした。ということは今回の開花はどういうことなのでしょうか。
素人の私にはまったくわかりません。しかしこの暑い炎天の下で咲いてくれた姿は、見る者を爽やかにしてくれます。
木蓮さんありがとうございます。なんまんだぶつ。
2016年
7月
02日
土
菩提樹 (7月2日のブログ)
知り合いのお寺様から菩提樹の苗をいただいたので、昨日の「ついたち参り」の後、境内に植えました。
今朝もそうですが、昨日も暑い一日でした。お日様のお照りによって、菩提樹さんも少し元気がないようですが、なんとか育ってほしいと思います。
木は人と深く関わりがあります。この菩提樹の木も、お釈迦様が樹下で悟りを開かれたときの木であります。菩提樹の菩提とは、仏になるという意味があります。
木は人よりも長い年月を生きます。この菩提樹の木もこれから長い歳月を生き、いつまでも当寺を見守っていただきたいものです。
2016年
6月
29日
水
檀信徒研修会 (6月29日のブログ)
昨日(28日)、ご本山で檀信徒研修会がありました。
当寺からも二名の方が参加されました。私は午後の分科会の 助言者として参加させていただきました。
朝九時半の御影堂での開会式に始まり、高田会館ホールでの基調講演、
その後、午後から分科会、落語鑑賞会等、盛りだくさんの勉強会でありました。 各寺院の御同行さんが一同に会してご本山でお念仏の話を聞く。
とても有意義な時間でありました。残念ながら写真は撮れませんでしたが、また次回秋にもご報告させていただきます。
それから今日は水曜日。午後から珈琲サロンが本堂でございます。
2016年
6月
18日
土
雲雀(ひばり)の歌声 (6月18日のブログ)
今日は快晴。梅雨の合間のいい天気。
朝から草刈三昧。
暑いです。
しかしそんな中でも雲雀さんはピーチクパーチク大空のどこかで歌っています。
雲に雀と書いてひばり。なぜかまっすぐ上にしか飛ばないんですね。鳴くのは雄。巣を守るためとのことですが、そのひたむきさに、「あっぱれ」といいたくなります。今日のような快晴の青空に雲雀さんの歌声は本当に嬉しくなります。いつまでもこの歌声が聞こえることを願います。
私も「なんまんだぶつ」と称えて生きていきたいです。
2016年
6月
05日
日
どくだみ茶 (6月6日のおはなし)
境内にたくさんのドクダミが生えてきました。あまりにも多いので、今年はひとつドクダミ茶を作ってみようと思い立ちました。
写真は摘んできて葉っぱを洗ったところです。これから日陰に干します。
させ上手くいくでしょうか。
どくだみのなんとも言えない匂いに囲まれてのしばしの作業です。
2016年
5月
21日
土
初夏の頃 (5月21日のブログ)
以前にもこちらに書きましたが、あれからもやっぱり燕さんが本堂内にやってきます。
ここのところ暑い日が続きますので、ついお堂の正面の扉を開けておきますと、そこからいつの間にか燕さんが入ってくるのです。一度入るとなかなか出ていきません。
来てくれるのは嬉しいのですが、いろいろこちらの勝手な都合がありまして。ごめんなさい燕さん。せっかく遠いところを来てくれたのに、せめてお堂の外からお参りしていってくださいね。
つばめ飛ぶ初夏のお堂に青い空
2016年
5月
16日
月
名も知らぬ花 (5月16日のブログ)
今朝がた外に出てみると、家の前に小さな花が咲いていました。
写真に撮りましたが、実際にはもっと色が鮮明で葉は固い感じです。あきらかに草の類ではありません。
いつの間に咲いたのでしょうか。どこからか種が飛んできて生えたのだと思いますが、三つの花が仲良く咲いてくれています。花を見ると思わず優しい気持になりますね。不思議です。なんまんだぶつ。
2016年
5月
12日
木
ご本山の清掃奉仕 (5月12日のブログ)
今日は初夏の好天に恵まれた一日でした。
そんななか当寺のお同行のみなさんとご本山の清掃奉仕に行って参りました。
ご本山の清掃奉仕係の柏原氏のご指導のもと、爽やかな晴れわたった空の下で、みんなで草ひきをしました。その後は重要文化財の案内をしていただきました。普段一般には開放していないお庭や書院を拝見でき、とても貴重な体験をさせていただきました。
写真は、宗務院前での記念写真です。その後高田会館で昼食をいただきました。みなさまお疲れさまでした。
2016年
5月
08日
日
カリンの実なる (5月8日のブログ)
カリンの木に実がなってきました。
実は植えてから初めてのことです。以前は本堂の前にありましたが、本堂建て替えにともなって、庫裏の裏に移しましたが、それからは一度も花が咲くこともありませんでした。しかしこの春は違いました。にわかに綺麗な花を咲かせたのです。そうして花が散ったあとこのように実ができ、少しづつ大きくなってきました。そろそろ田も田植えが終わり、綺麗な水田になりました。夜には蛙さんが歌を歌っています。晴れた日中には雲雀さんが一日中歌を歌ってくれています。 これからは初夏ですね。
ちなみに明日は恒例の「法話とヨガの集い」です。よろしければぜひお待ちしています。
2016年
5月
02日
月
燕(ツバメ)さんも参拝 (5月2日のブログ)
一日遅れましたが、 昨日の「ついたち参り」の時に、燕さんが舞い込んできました。
堂内を勢いよく飛び回っていました。
写真を撮ろうとしましたが、なかなかうまく撮れませんでした。
その後そのままお勤めをしておりましたら、いつの間にかでていかれたようでした。
たいへん賑やかなついたち参りとなりました。
「賑やかなついたち参り初夏の風」
2016年
4月
29日
金
永代経法要 (4月29日のブログ)
今日は午前午後と永代経法要でした。
兵庫県から本願寺派の布教使、堀晃洋師にお越しいただきました。
堀氏は私の本願寺派時代からの友人で、今回久しぶりにお越しいただきお話をしていただきました。自らの体験をもとに仏法をやさしくお話いただきました。私もみなさんとともにお聴聞させていただきました。
次回は秋です。また連絡させていただきます。
2016年
4月
21日
木
永代経近づく (4月21日のブログ)
しばらくブログを書いていませんでした。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
九州では大きな地震があり、不安な日々が続いています。謹んでお見舞い申し上げます。
しかしこれは決して他人事ではありません。日本列島ならどこでも地震がおこります。今さらいうまでもないことかもしれません。なのについ自分だけは大丈夫だと思ってしまいます。それはなんの根拠もない妄想なのですね。あらためて色々考えさせられています。
それから永代経法要が近づいてまいりました。今回は兵庫県より私の本願寺派時代の布教使の友人にお話いただきます。お時間のある方はぜひお参りくださいますよう、お待ちしています。
2016年
4月
09日
土
桜咲く (4月9日のブログ)
当寺の片隅にあるしだれ桜も咲きました。
昨日は4月8日。お釈迦様の誕生日でした。
この日を「花まつり」といってお参りをします。
ここしばらく当ブログもお休みしていましたが、その間に桜も咲き、その他花梨、木蓮、ドウダンツツジなど春の花々が咲いてきました。
春は花の季節ですね。そんななかでお釈迦様が誕生された。まさに花まつりです。皆さんはお参りされましたか。4月8日という日はもう去りましたが、まだ花は咲き誇っています。花を見てその空気を感じながら、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと、お念仏。
咲き誇る花も念仏誕生会
2016年
4月
01日
金
恒例のついたち参り (4月1日金のブログ)
今日は4月1日。1日といえばついたち参りの日です。
朝9時に本堂で恒例のついたち参りを行ないました。
写真はお勤めの後の法話の様子です。今日は新しく完成した紙芝居をもとにお話させていただきました。我ながらなかなかうまく描けたように自己満足しています(笑)
ぜひまだお越しいただいていない方はぜひ来月お待ちしています。
2016年
3月
31日
木
春休み子供会 (3月31日木曜日のブログ)
今日は春休み子供会を行ないました。みなさん習い事や行事などで忙しいようで、参加者は少なかったですが、少ないながらも充実した時間でありました。
みんなでおつとめ、お話紙芝居、ゲーム、恒例のお寺内の肝試し、
お菓子阿弥陀くじ、そして後片付け掃除とあっという間の二時間でした。
次回は夏休みです。またぜひお待ちしています。
2016年
3月
27日
日
法話にお邪魔しました。(3月27日日曜日のブログ)
今日は午後から津市内の御寺院様に御法話でお邪魔しました。
春の永代経法要でありました。お庭に綺麗に桜が咲いて、春が来たことを感じました。もうすぐ入学式もあるでしょう。旅立ち、巣立ちの春ですね。
日本には四季があります。その四季に合わせた様々な行事があって、
四季折々の趣(おもむき)があります。春の永代経もその季節の大切な行事の一つですね。
2016年
3月
24日
木
お地蔵堂のお参り (3月24日のブログ)
昨年もこちらで紹介しましたが、今日3月24日はお寺に隣接する地蔵堂のお地蔵様の日です。
朝から町内の当番地区の方々が地蔵堂内の掃除やお花を活けたりと堂内を綺麗にしていただき、午後2時より皆様と一緒にお参りをいたしました。
今日は春の日差しではありましたが、風が強く寒い日でありました。
お地蔵様の前には子供たちの好きなお菓子が数多くお供えされ、お勤めのあとはみんなにお楽しみのお菓子配りでした。
お地蔵菩薩は子供を守る菩薩とのことです。やはり子供たちの賑やかな声がいっそうお参りに花を添えているようでした。
来週は子供会の予定です。
2016年
3月
22日
火
近況報告 (3月22日のブログ)
みなさまお久しぶりです。
しばらくこちらも更新していませんでした。
その間お彼岸の時期でもあり、色々と忙しくしておりました。
御法話で関東別院(東京都)にも御法話でうかがいました。
まだ彼岸中ですが、ところで今日は私の誕生日です。何回目かは、またお会いした時にでも(笑)
(誕生日という日は、親に感謝を伝える日です。)ということを聞いたことがあります。しかし実際には、照れくさくてなかなかいえません。
今日は亡き母の墓前にお参りをしました。生前には照れくさくてまともにお礼の言葉が言えませんでしたが、今は言えます。
亡くなったらもう終わりと、思う人もいるようですが、私はそうは思いません、今日もこうして母にお礼が言えました。
私の誕生日がちょうどお彼岸中ということもありますが、彼岸はやはり亡き人にお礼をいう日でありましょう。どんなお礼かというと、それは私を育てていただいた、そして今もなお育て続けてくださっていること、生かされていることへの感謝のお礼だと思います。
(写真は特に文面とは関係ありません、)
なんまんだぶつ。
2016年
3月
14日
月
法話とヨガの集い (3月14日のブログ)
今日は午前中、法話とヨガの集いを行ないました。
この集いは体の健康はいうまでもありませんが、心についても考える集いであります。
お寺で行うというのには意味があるのです。それは仏前ということで、まずお香を焚きます。お香の清らかな香りを感じ、そしてみなで声を出して読経します。声を出すというのもとても体には良いことだと思います。そして仏さまの教えを聞くことで、自分の見つめることをになります。そうしたこともこのヨガの集いならではのことであります。
機会がありましたらぜひお待ちしています。
2016年
3月
07日
月
掲示板のことば (3月7日のブログ)
しばらくぶりに掲示板のことばを書きかえました。
実際にはもっと前に書きかえてましたが、こちらにアップするのが遅れてしまいました。
この言葉の意味については、
「お寺の紹介」から「こころにのこることば」を開いていただきますと、書いてありますので、どうぞご一読ください。
2016年
3月
01日
火
ついたち参り (3月1日のブログ)
今日は3月の1日。毎月1日はついたち参りの日です。
今朝も朝9時より本堂で月例のついたち参りを行ないました。
今日まで涅槃軸を掛けてありましたので、涅槃絵の絵解き法話をさせていただきました。
その後みなさんでお茶とお菓子の茶話会でした。月に一度の顔合わせにもなり、参詣者も入れ替わりながらもみなさん少しづつ増えてまいりました。
来月も行いますので、ぜひお参りください。お待ちしています。
2016年
2月
25日
木
春よ来い (2月25日のブログ)
今から三年前に桜の苗木をいただき庭の片隅に植えておきましたが、
今朝見るとその桜が咲きほころんでおりました。まだまだ寒い日でありましたが、北風の中で咲いておりました。
♪春よ来い 早く来い♪ と桜が歌っているような気がしました。
ある先生が、この童謡「春よ来い」は浄土真宗においては「信心のうた」であると仰ってみえました。
歩きはじめたみーちゃん。南無阿弥陀仏の道を歩き始めた私。
辛く寒い北風がやがて転じて、そのまま春になる、花が咲く。
辛い寒さがそのまま転じていく道を歩き始めた念仏者。あなたも共に歩みましょう。
この桜は私にそう歌っくれています。
なんまんだぶつ。
2016年
2月
18日
木
紙芝居法話 (2月18日のブログ)
本日と明日の二日間、
午後から四日市市内の御寺院様で
御法話をさせていただきます。
その中では紙芝居の法話もさせていただきます。
今日はその初日、少し寒い風が吹いていましたが、日差しは温かく春の足音が聞こえてきそうな陽気でした。皆さんと一緒にお釈迦様の涅槃会について御相続させていただきました。
2016年
2月
15日
月
涅槃会(ねはんえ) (2月15日のブログ)
今日はお釈迦様がお亡くなりになった日。
釈迦仏が人として誕生し、私達を仏の世界へ導かれ、そして人としての寿命を終えられたのが今日2月の15日でありました。
仏が人としての一生を終えられ仏の世界へ帰ることを、涅槃に入るといいます。
当寺では今日は涅槃会として主だった法会は行いませんが、来月の3月1日の「ついたち参り」に参詣者の皆様と一緒に涅槃会のお勤めと、絵解きをさせていただきます。
お釈迦様は人間界に生を受け、その一生を仏道に精進されそして迷える人々を覚りの世界に導かれました。その一生はぼろの衣と托鉢の鉢のみ、生涯人々の救済に生きられ、その生ききられた最後のお姿が「涅槃図」なのです。この涅槃図には仏の大いなる教えが込められています。
ぜひ直にご覧になって、仏のお心を聞いて下さい。
2016年
2月
08日
月
前住職の十七回忌法要 (2月8日のブログ)
今日は午後1時半から
前住職良譲聖人の十七回忌法要を勤修しました。
主な参詣者は世話方様と前住職にゆかりのある方でした。
少人数ではありましたが和やかな雰囲気の中で執り行われました。
勤行の後、皆さんでお茶とお菓子をいただきながら、前住職の思い出話をしました。 今日は良く晴れた一日で、日差しが堂内に入り温かでありました。たまたま昨日いただいた月ヶ瀬の梅一枝を花瓶にさしましたが、いつの間にかもう春間近というかという感じですね。
2016年
2月
04日
木
御絵伝の絵が完成しました (2月4日のブログ)
いよいよ御絵伝の絵が完成しました。
かねてから日本画家の永都康之先生に親鸞聖人のご一生を四幅の正絹に描いていただいていましたが、今日完成した絵を先生よりもって来ていただきました。今後はこの絵を表具していただいて御絵伝の完成です。
それにしてもやはり素晴らしい絵でありました。人物の表情まで生き生きと描かれていて、観れば観るほど親鸞聖人の世界に引き込まれていきます。
永都先生有難うございました。
なおこの後表装して完成したお軸は、今年の12月10日11日の報恩講において皆様に観ていただきます。
特に12月10日には、永都康之先生にお越しいただいて、御絵伝完成の表彰式と先生による御絵伝のお話をしていただきます。
それについては追って連絡させていただきます。
2016年
2月
01日
月
ついたちまいり (2月1日のブログ)
今日は朝9時から月例の
「ついたちまいり」を行ないました。
新しい参詣者もお越しになり、
細く長く続いております。
さて今日から2月。ついたち参りの参詣者の方もおっしゃってみえましたが、お正月からもう一月たったのですね。時の流れはみな等しく過ぎていきます。しかも止まることはありません。毎日忙しく過ごしていると、ついついそのことを忘れてしまいますね。
こうしてお寺にお参りして、静かに自分をみつめてみますと、色々なことが気づかされてきます。
2016年
1月
31日
日
女人講 (1月31日のブログ)
今日はお昼前から女人講の集いがありました。
参加者は少な目でしたが、それでも皆さんこの日を楽しみにしておられたようで、終始にこやかな明るい雰囲気の中、進行していきました。
お勤めから紙芝居法話をし、そして場所を移して客殿で食事会と続きました。 お寺での食事を交えての集いというのは最近めっきり少なくなりました。
これはお迎えする寺院の側からすると、準備等で少々大変な面もありますが、しかしやはりみんなで食事するというのはいいものですね。
これからもぜひ続けていっていただきたいと思います。
2016年
1月
26日
火
紙芝居法話にうかがいました (1月26日のブログ)
今日は朝から伊賀市の真宗の
御寺院様に紙芝居法話にうかがいました。
そうしてお昼には精進料理(写真)をいただきました。
こちらのお料理はなんとすべてお寺での手作り。月に一度精進料理の会を開いてみえるそうで、毎回その季節に合わせて物語風に創作されているとのことでした。今回は近々の節分に合わせて豆の天ぷら、小豆のおかゆ、蕎麦掻の味噌汁、その他カボチャ、とろろ、聖護院大根などなど、見るのも食するのもすべて珍しく美味しいものばかりで、心も身体もほかほかになりました。
参加された皆様もきっと次回はどんな料理がいただけるのか、とても楽しみなことでしょう。私も毎月でもお邪魔したくなりました。
また客殿と大玄関には、私の大学時代の恩師である信楽峻麿先生の書が掛けられてあり、あらためてご縁の深さを感じました。
本当にお世話になりました。なんまんだぶつ。
2016年
1月
25日
月
またまた雪の朝 (1月25日のブログ)
昨日から天気予報では、今年一番の寒波がくるとのことでしたが、やはりそのとおりというか、先日のこのブログに続いてまたまたの朝になりました。 ただ先日よりも雪の量は少ないようですが、静な朝になりました。
今日は予定していた「法話とヨガの集い」は休みになりました。
それから「法話とヨガの集い」は2月はお休みです。3月に再会しますのでどうぞよろしくお願いいたします。
2016年
1月
20日
水
雪景色のお寺 (1月20日のブログ)
昨日から強い風が吹いていました。そして
今朝起きてびっくりです。ご覧のように雪景色となりました。
こちらで雪が積もるのは一年に一回あるかないかです。
今年は暖冬のようだったのでなおさら驚きです。今日は水曜日なので、
午後に珈琲サロンを開設する予定ですが、この雪ではどなたもお見えにならないかもしれませんね。
2016年
1月
16日
土
聖人御命日と山茶花(さざんか)
今日は親鸞聖人の御命日です。
御本山では報恩講が勤修されています。私はお参りできませんでしたが、本堂でいつもと変わらずお勤めをしました。その後境内の掃除をしました。
そんな中庭の片隅に山茶花の花が咲いていました。二年ほど前に一本だけ植えたのですが、その後元気がなく葉もしおれ気味でもはや枯れるのかと惜しんでいたのですが、この時期になって、つぼみがなりそしてこのように美しい花を咲かせてくれました。
それにしても花にも色々ありますが、冬の一番寒いこの時期に花を咲かせるというのは不思議な花ですね。寒風に揺れながらも耐え忍び、その中にほのかに照らすお日様ににっこりほほ笑んでいるかのようです。しかしそれゆえにいっそう美しく愛おしく見えます。
親鸞聖人のご一生もとても順風満帆な安定した一生ではなかったでしょう。
その生涯は冬の寒い北風の中を歩んでいかれたような厳しいご一生であったように思えます。心もとないときも、不安な足取りのときもあったでしょう。しかしそのなかにこそ歩むべき道を見つけられて、一歩一歩歩んでいかれたのでしょう。
吹き付ける北風のなか、わずかに一本だけの山茶花。
こころもとなく不安げに揺れている。しかし揺れつつも
その身は吹きつける強い風にもしなやかに しなやかに風にまかせて揺れている。
日は照らしその身をやさしくつつみこむ。日と風と冷たすぎる土と、しかしそのなかにこそある温かさに育てられて、やがて鮮やかな一輪の花をさかせてゆく。
その花の美しさはその花の歩みの強さの象徴でもある。
今日は宗祖の御命日。寒風に咲く山茶花に宗祖の生涯を憶う。
2016年
1月
07日
木
お寺の子供会 (1月7日)
今日は午前中、冬休みの子供会を行ないました。地元の子供たちのほかに津市からも来てくれました。
お勤めも子供達でおこない、その後紙芝居と法話、そしてゲーム遊び、お菓子阿弥陀くじ、後片づけ、最後にみんなで阿弥陀様にごあいさつ。
みなさん楽しんでくれたでしょうか。 これからも行いますのでぜひきてくださいね。
2016年
1月
01日
金
本年もよろしくお願い致します。 (2016年1月1日)
今日は一月一日。朝から本堂で元旦会を勤修しました。
「元旦や今日のいのちに遇う不思議」 の詩を黒板に書き、それについてお話しました。みなさんと一緒に新年をお迎えすることができ有難いことでありました。本堂には年回操出表を貼り出しています。今日一日はみなさんお参りに来られて操出表を見ていかれます。
それからいつも欣念寺のホームページにお越しくださるみなさま、本年もお変わりなくお越しいただきますよう、よろしくお願いいたします。
2015年
12月
24日
木
年末の大掃除 (12月24日)
昨日は23日。恒例の年末の大掃除をしました。地元の同行さんが30人以上来ていただき、境内から本堂内まで午前中しっかりと大掃除をしていただきました。有難うございました。境内と本堂がすっかり美しくなりました。
2015年
12月
19日
土
ムクロジ(無患子)の実 (12月19日)
まるで宝石のようです。
またまた拾ってきたムクロジの実を皮をむいて中の実を洗ったところです。
一見同じような実に見えますが、よく見ると一つ一つそれぞれ形も大きさも表面の柄もみな違います。なんとも可愛いムクロジの子供たちです。
いつのまにかこの実に魅せられてしまいました。
ムクロジの実は木が秋になると稔り、葉が黄色く色ずく頃に地面に落ちてきます。しかしその木がなかなか見つけられません。ある所にはあるのでしょうが、植物の本などで調べてみますと、神社や寺院の境内によくあるそうですが、実際に見つけたのはごくわずかでした。
もしご存知の方みえましたら、教えていただけたら有難いです。
2015年
12月
18日
金
ナンテンの朝 (12月18日)
ここしばらく暖かい日が続いていましたが、今朝は寒い朝になりました。
庭のナンテンの実も冷たい北風に
静かに揺れていました。
このナンテンの実ですが、もうあとわずかしかありません。鳥にでも食べられたのでしょうか。
わずかになってもナンテンは赤い実を朝日に光らせて今日という一日を迎えているようにみえました。
この実が鳥に食べられて、その糞がどこかの土地に種となって落とされて、そこにまた新しい命となって生れ出ることでしょう。
草花はなにもいいませんが、その姿に耳をすませば、色々なお話が聞こえてきます。 なんまんだぶつ。
2015年
12月
15日
火
報恩講 (12月15日のおはなし)
今日は15日。昨日から神戸別院の報恩講がはじまりました。
昨日は午前中に当寺で
「法話とヨガのつどい」をおこない、その後神戸別院での報恩講に出勤しました。
この報恩講は今日は午後と夜にお勤めがあり、明日は朝と午後に法座があります。今日明日は神戸別院での報恩講三昧であります。
ところで写真ですが、先日の当寺の報恩講での田中秀法師の法話の様子です。先生は藤谷秀道師と大石法夫師から仏法を学ばれたそうです。
なかでも大石先生からいわれた言葉
「下座の生活をしなさい。」 がとても印象にのこりました。
人をうらやみ、自らをはからい常に上に上にと目を向けて生きています。
そんな私に鉄槌のような重い言葉でありました。
2015年
12月
12日
土
報恩講 (12月12日のおはなし)
今日明日の二日間、当寺の報恩講です。
今日の御法話は田中秀法師でした。伊賀市の御寺院の住職ご夫妻も、田中先生のお話の聴聞に参詣くださり、たいへん賑やかで温かな報恩講となりました。
明日は私と洋山氏との法話ユニットです。
どうぞお楽しみに。なんまんだぶつ。
2015年
12月
10日
木
名古屋へ (12月10日のおはなし)
今日は朝から葬儀のために名古屋に向かいました。ご門徒さんではありませんが、ご縁ある方の葬儀です。鈴鹿から名古屋まではさほど時間はかかりませんが、法事で向かうのはこの秋以来久しぶりのことです。
そこでこの写真ですが、どこかわかりますか?
写真はすっかり様相が変わった名駅(名古屋駅)です。すっかり変わったといってももうずいぶん前からのことでしょうが、あらためて眺めてみると、私の子供の時の様相はすっかりなくなり、大きく変わったなということです。
葬儀の後しばらく市内観光をと思いましたが、明後日からの報恩講の準備もあり、早々に帰宅いたしました。
2015年
12月
09日
水
認知症サポーター (12月9日のおはなし)
昨夜は「認知症サポーター養成講座」が市役所であり、研修を受けてきました。
認知症について、まだ何も知らないことばかりですが、基礎の大事なところを教えていただきました。
受講終了後に「認知症サポーター」の証である写真のリングをいただきました。長寿大国である我が国にとって避けることのできない老いの問題。その中でも認知症の問題は深刻です。決して他人ごとではありません。
今回はそんな現状を知る良い機会と思い受講しました。
今後もできることなら継続していきたいと思います。
2015年
12月
06日
日
報恩講さん (12月6日のおはなし)
今日は一日白山町に行ってました。
お招きいただいた御寺院様の
報恩講での御法話をさせていただきました。
それにしても久しぶりの白山町。
さきに同じ白山町の法友のお寺によって、しばらくぶりの再会に積もる話に盛り上がりました。午後からは写真の御寺院の報恩講に伺いました。
思い出深い一日となりました。
2015年
12月
05日
土
菩提樹の実 (12月5日のおはなし)
12月にはいってめっきり寒くなってきましたね。
今日も一日風も強く吹いていました。日も短くなり、いよいよ本格的な冬到来でしょうか。
ところで写真ですが、親戚の寺院にある菩提樹の実を拾ってきました。手にのっているのがそれです。菩提樹も色々種類があるようですが、この菩提樹は何という種類なのかわかりません。しかし小さな実ではありますが、たくさん鈴なりになっていました。この実に穴をあけて百八つの念珠を作ろうと思っています。
同じく写真には、先日拾ってきたムクロジの実で作った念珠が写っています。 最近は念珠作りに励んでいます(笑)
ところで菩提樹はかつてお釈迦様が、木の下でお悟りを開かれた時の
木であります。そしてその日は12月8日でありました。もうすぐです。菩提はさとりのことです。そういうことからも菩提樹は昔から寺院の境内に植えられていることが多いのです。またその実は念珠として用いられています。
私事ですが、しばらくは念珠作りにハマりそうです。。
2015年
12月
03日
木
御本山での朝参り (12月3日のおはなし)
写真は今日の早朝の御本山の御影堂と大銀杏の木です。
今日は御本山の朝の法話をさせていただく日でしたので、早朝に御本山に向かいました。
冷たい雨が降っており、まもなく冬至ということもあり、まだ薄暗い中に、法中僧侶の玄関にはほのかに灯りがついており、まさに冬の朝と いう感じでありました。
ちなみに明日も同じく法話させていただきます。お時間ある方はぜひご参詣ください。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
29日
日
今日も報恩講 (11月29日のおはなし)
今日も午後から、昨日に引き続き
組内の御寺院の報恩講に出勤とその後の御法話をさせていただきました。今日は自作の親鸞聖人の紙芝居のなかで、「吉水編」をもとにおはなしさせていただきました。
境内には大きな銀杏の木があります。そろそろ落ち葉になるころでしょう。銀杏もそこここに落ちておりました。
2015年
11月
27日
金
ボランティア (11月27日のおはなし)
本日は市内の老人福祉施設から
お招きいただき、紙芝居法話に伺いました。みなさん私の話を最後まで聞いていただき、とても楽しく貴重な時間でありました。
こういった施設でのお話は、
場所が寺院ではないので、仏教の話を聞いたこともない人もいます。初めて仏教の話を聞く人もいるかもしれません。ゆっくりと大きな声でお話するのも基本でしょう。みなさんの反応を確かめながらのお話を心がけました。わずか1時間たらずのお話ですが、まさに全力投球です。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
26日
木
雨のち晴れ (11月26日のおはなし)
みなさんこんばんわ。昨日あたりからずいぶん寒くなりましたね。
こちらは昨日から雨で今朝もまだどんよりとした天気。
今日は午後から御本山での会議があり、少し早く着いたので、境内を散策しました。境内の銀杏の木はすっかり葉を落としていましたが、
もみじはまだ紅葉が残っていました。では写真をと思ったその時、ちょうどお日様が顔を出してくれました。遠くまで行かなくても、境内で充分気持のいい散歩ができました。さすがわ御本山。念仏のふるさと。
なんまんだぶつ。なんまんだぶつ。
2015年
11月
23日
月
今日も報恩講さん (11月23日のおはなし)
今日も午後から鈴鹿市内の御寺院様の報恩講にお邪魔して
御法話をさせていただきました。
山門前に掲示伝道の言葉がありました。
「人間だものと言い逃れ 人間のくせにと他をせめる」
う〜ん、思わず考えさせられました。
自分が失敗した時は、色々理由をみつけては「〜だからしかたなかった。」と言い逃れ。他人が失敗した時には「〜のくせに失敗して」と容赦なくせめ非難する。
車の運転中に、割り込まれたら腹を立て、自分が割り込むときは、
「仕方ないでしょ渋滞してるんだから」と開き直る。
とかく自分に甘く、他人に厳しい私であります。そんな私をいい当ててくださっている言葉に感じました。山門をくぐるとは、頭の下がらない私が、頭を下げていくことを教わる意味があるのかと思いました。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
22日
日
報恩講法話 (11月22日のおはなし)
今日は鈴鹿市内の真宗寺院の報恩講にお邪魔して、御法話をさせていただきました。
今日は婦人会の報恩講ということで女性の方ばかりの中約1時間
楽しい時間をご一緒に過ごしました。こちらの御寺院様はご覧のように鐘楼堂が新しくなり昨日はその落成法会も行われたそうです。小高い山の上に立つお寺です。
麓の家々では夕刻になると、お寺の鐘が聞こえてくることでしょう。
思わずあの童謡「夕焼け小焼け」を連想しました。残したい美しい日本の風景ですよね。また本日の報恩講も真宗寺院のある在所にとって、とても意義深いものであります。みなで親鸞さまのお参りにお寺に集まる。個人主義、プライベート、お一人様を声高に主張する現代。同行がみんなで集まってお参りし、お話を聞き話す。そこにはお一人様の寂しさはありません。共に生きているという実感を感じ、生きる自信をいただくような、血の通った集いであります。
こちらも決して絶やしてほしくない美しく尊い仏事であります。
2015年
11月
21日
土
宗教心とは (11月21日のおはなし)
(宗教心とは)特別な心ではないんです。人間であるならばちょっと真面目に考えたら、誰でもが願わずにおれない確かな生き方の欲求、それを宗教心という。
「私は無宗教だ」という人がいます。それはたぶん、今流行っている
あらゆる宗教を信じないというんでしょう。いわゆる既成宗教というものを全部信じない。それほどその人は痛切に本当の生き方を要求しておるのです。 (「仏法と世法」和田稠講述 聞思舎発行)
上の文章は、先日ネットを検索していてみつけたものです。
「私は無宗教だ」という言葉を実際に私も聞いたことがありました。
それについてそんなことをいう人を、私は軽視していました。
(人生を真剣に考えていないから そんなことをいうのだ)と。
しかしここに和田先生のお話を聞かせていただいて、あらためて「無宗教」について考えさせられています。
既成宗教のありかたを問われている大切な言葉であったのだと。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
19日
木
伝道掲示板 (11月19日のおはなし)
写真は今日ある御寺院の前を通った時に目に入った掲示板の言葉です。
「正しければ 負けなさい」
これはいったいどういう意味なのでしょう。今も考えさせられています。皆さんどうでしょうか。
すべからく人は、何ごとにおいても「自分は正しい」と思ってしまいがちであります。特に自信がそうです。自分が正しいと思っていると、そうでないものはみな間違ったものに見えてきます。自分の考えに合わないものはみな間違ったものであると見下げてしまいます。その考えには常に勝敗がついてまわります。自分は常に勝つ位置にいるのです。正しい=勝つです。
そんな生き方をしている自分にはこの言葉がまったく質の違う、別世界の国から発せられた言葉のように思えてきます。
「正しければ負ける」人々が集う世界を浄土というのでありましょう。
2015年
11月
16日
月
ムクロジの二連珠 (11月16日のおはなし)
先日拾ったムクロジの実を、
百八つ繋いで二連珠を作りました。
どうでしょうか。綺麗な黒いたまでしょ。できあがった二連珠を手にかけて「なんまんだぶつ」。
ところで今日は16日。親鸞さまの月命日です。私は御本山の朝のお勤めの法話をさせていただきました。
「正像末和讃」の第六首についてお話させていただきました。
これからは寒くなる季節です。朝の本山のお御堂は広いのでとても寒いです。
お参りになるときは防寒の用意をしてお越しください。
2015年
11月
15日
日
愛知県へ (11月15日のおはなし)
今日はお昼前から晴れ間が広がり、天気予報通りになりましたね。
そんな中、私は愛知県の真宗寺院の報恩講のご法話に招かれ、午前中からお邪魔してきました。
お昼には写真のお食事をいただきました。報恩講のお非時です。
見るからに美味しそうでしょ☆
ご飯で隠れてますが、山菜のおひたしもあり、どれもみな美味しくまさに報恩講の味がしました。
ごちそうさまでした。
2015年
11月
14日
土
ムクロジの実 (11月14日のおはなし)
ムクロジの実を拾ってきました。
銀杏のような実のわたをとると中にはまっ黒な種があります。
この種をとりだして穴をあけて紐で繋げると、念珠のできあがりです。
銀杏ほどのかぶれはないと思いますが、匂いはなかなかのものです。
念珠ができあがるまでにはまだまだかかりそうですが、楽しい工程です。
このムクロジの実から念珠を作るのについては、
善導大師の「観念法門」の最後のところにある国の国王とお釈迦様の物語が書かれていて、その中にこのムクロジの実から念珠を作る話がでてきます。108つのムクロジの実を繋ぐ。幸いにもムクロジの実を拾うことができたので、今回挑戦してみました。完成が今から楽しみです。
2015年
11月
12日
木
珈琲サロンしました (11月12日のおはなし)
昨日の水曜日、
水曜珈琲サロンをおこないました。
しばらくお休みしていましたが、
しばらくぶりのことでした。
今回もIさんがお越し下さりました。
一緒に(宗正元師)の本を読み、珈琲を飲みあられをつまみながら
色々お話しました。
来週も行う予定です。とにかく参加者の少ない会です(寂)
ぜひお待ちしています。
(※急な事情でお休みすることがございますので、お越しになる前に電話にてご確認ください。)
2015年
11月
10日
火
法話の練習会 (11月10日のおはなし)
本日は午後から、有志の僧侶数名と法話の勉強会をしました。
実際の法話する機会を想定して、それぞれが法話し、聴聞し、互いに意見感想を言い合うという会です。
法話は一日にしてならず。ではないですが、お同行の皆様の前でお話させていただくには、やはり勉強しかありません。お坊さんの勉強会の一幕でした。
ちなみにこれをみられた僧侶の方で、一緒に勉強したい方、よければ
ご連絡お待ちしています。 なんまんだぶつ。
なんまんだぶつ。
2015年
11月
08日
日
欣浄講でのご法話 (11月8日のおはなし)
昨日今日の2日間、
津市内安濃地区の高田派寺院で毎年持ち回りで勤修されている、
「欣浄講」という特別講にお招きを受け、ご法話をさせていただきました。この講は江戸時代末期に御本山から、この地区の高田派寺院九ヵ寺にいただいた「御書」(ごしょ)を機縁に、毎年持ち回りで法要するという講であります。私もご覧のように、高座に上がりお話をさせていただきましたが、しばし足の痺れも忘れ当御書の内容について味わさせていただきました。このような大切な法要にお話させていただき、とても有難いことでありました。世話方様をはじめお同行の皆さまには大変お世話になり有難うございました。 なんまんだぶつ。
2015年
11月
07日
土
報恩講めぐり2 (11月7日のおはなし2)
先ほどのブログの続きです。真宗十派の御本山の報恩講の日程です。
私自身にも初めての発見です。しかもこれをスタンプラリーで回るという、ある意味斬新な企画です。親鸞さまもさぞやおよろこびのことと思いますが、せっかく回る以上、スタンプもいいけど、お勤めと御法話を聴聞し、なによりそれぞれの御本山の報恩講を肌で感じる、これに過ぎたことはないですね。
私もこの機会にぜひお参りしたいと思っています。
2015年
11月
07日
土
報恩講めぐり (11月7日のおはなし)
本山専修寺より、真宗十派の報恩講のユニークな案内がきました。
各派の報恩講を巡りスタンプラリーできるそうです。
いかがでしょうか。
当ブログには写真が一枚しかアップできないので、次のブログで日程のアップをしてみます。
2015年
11月
02日
月
聞思 (11月2日のおはなし)
こんばんわ。今日はよく冷えた寒い一日でしたね。
12月の下旬の寒さだったとか。
そんな中、今日はこの言葉を書いてみました。
書いてみたなんていうと、あまりの下手な字で恥ずかしいですが、
「聞思」(もんし)と読みます。これは親鸞聖人の御本典「教行証文類」の総序にある「聞思して遅慮することなかれ。」の「聞思」です。
今日この文を読んでいた時に、いつ書いたのか、どこかの聞法会で教えてもらったのでしょう、この「聞思」の箇所に、(身をとおして聞く)と書いてありました。
「聞思」とは、身をとおして聞くことであります。なんまんだぶつ。
2015年
11月
01日
日
報恩講の法話 (11月1日のおはなし)
今日は午後から津市内の御寺院様の報恩講法要において、
御法話させていただきました。年に一度の大切な報恩講。大勢の参詣者の方々に、「王舎城の悲劇」の紙芝居を交えたお話を聞いていただきました。とても貴重なご法縁を賜り有難うございました。
なんまんだぶつ。ちなみに明日はまた御本山での晨朝法話をさせていただきます。よろしくお願いします。
2015年
10月
31日
土
報恩講出勤 (10月31日のおはなし)
今日、爽やかな土曜日の午後、
組内寺院の誓休寺様の報恩講に出勤しました。
欣念寺の所属する鈴鹿22組西は全部で七ヵ寺あり、報恩講にはそれぞれ出勤し合うことになっています。今年はその組内最初の報恩講がこちらの寺院様からであります。
報恩講(ほうおんこう)とは、宗祖親鸞聖人の御命日法要です。
真宗寺院にとって一年で最大の法要であります。
親鸞聖人の御命日は1月16日(旧暦11月28日)なので秋から冬にかけて各寺院で勤修されます。
ちなみに当寺は、今年は12月12日13日です。
またそれについては後日お知らせいたします。
2015年
10月
29日
木
お通夜にて (10月29日のおはなし)
ここ二三日お葬式が続きます。
先日組内の寺院の前住職がお亡くなりになり、日をおいての寺葬ということで、大きな葬儀がとりおこなわれます。私達組内の寺院の住職もその葬儀に出勤します。
そんな中、昨日は早朝より、来客がありました。まだ7時前でした。
応対にでますと、家族の方が亡くなったという葬儀の依頼でありました。その予定日時が前述の葬儀とは重なることはありませんが、とても近いものでありました。またその間に、ご本山で「教学院の研究発表」があり、今回は私も発表させていただくことになっています。
それにしても重なる時には重なるものですね。非常にタイトな日々がしばらく続きそうです。
写真の言葉は、昨夜その後述のお宅のお通夜の中で、私がご法話をしたときの、話の中での言葉です。
「生まれるということは、同時に死ぬことを約束されたことなのだ。生きているということは、いつも死ぬことを背負って生きていることなのだ。生と死は切り離せないのだから。生死(しょうじ)という言葉はそのことを教えてくれている言葉なのだ。・・・」という「生死」をもとに少しお話させていただきました。
それは決して他人ごとではありません。この忙しいと言っている私の今も生死の中を生きていることにはかわりないのですから。
なんまんだぶつ。
2015年
10月
26日
月
分別心 (10月26日のおはなし)
自分の幸せをどこで決めていますか?
幸せの基準はどこにありますか?
それがもし自分以外の人と比べて、自分が他人より劣っているならば、不幸と感じ、また自分の方が優れているなら、幸せと感じる。そんな幸せならば、それは本当の幸せではありません。
他人と常に比べて生きる心を、分別心といいます。他人だけではありません。物も出来事もすべて、自分を中心に他をみる心を分別心といいます。分別心は対立を生みます。対立する心に、本当の安らぎはありません。仏の心は無分別心です。対立している心に気づいていく心です。
2015年
10月
25日
日
永代経法会 (10月25日のおはなし)
昨日10月24日、午前午後と永代経法会を勤修しました。
写真は午後の部です。昨日はちょうど町内の行事(コスモス祭)と日が重なってしまいましたが、大勢の参詣者がおみえになりました。
また本山布教使の鷲山了悟師よりご法話をいただき、明朗で活発なお話態度にみなさん最後まで聞き入っておられるようでありました。
有難うございました。
ちなみに明日26日(月曜)は午前9時半より、
法話とヨガの集い を行ないます。
お時間のある女性の方、ぜひお待ちしています。
2015年
10月
23日
金
明日は永代経 (10月23日のおはなし)
明日は秋の永代経法会です。
ただ今準備中。
後から後から用意する仕事がでてきます。
何年していても慣れませんね。
2015年
10月
22日
木
往き易くして人なし (10月22日のおはなし)
こんばんわ。今日も快晴のお天気でした。
ここしばらく雨が降っていなので、すべてにおいて少し乾燥気味の気がしますが、どうでしょうか。
ところで今日は「易往而人」(いおうにむにん)と書いてみました。余り大きくすると字の下手さが際立つのでこの大きさですが、これは「仏説無量寿経」の中に出てくるお言葉で、極楽浄土は、
「往き易くして而(しか)も、往く人なし」という意味です。
つまりあえて簡単にいうならば、(極楽浄土へは人間の自分のつくった功徳や努力では往くことはできないが、阿弥陀仏のおはたらきでならとても簡単に往ける。)という意味です。
私たちは自分の力を頼りに生きていますので、時にはそれを過信することがあります。そんな私にこの言葉は、(自分の力も大事だけど、自分の力だけじゃどうにもならない時もあるよ。自分の力には限界があるよ)と教えてくださっています。
2015年
10月
21日
水
聴く (10月21日のおはなし)
聴くという字を書いてみました。
この字は、耳に十四の心、と書くのですね。
先日の「恥」は(耳に心)、でした。
この聴くは、(耳に十四の心)です。十四の心とはなんでしょうか。
ちなみにこの(きく)には、他にも「聞く」があります。
そして聞くと合わせて、「聴聞」といいます。これに(お)をつけたら
「お聴聞」、つまり仏法を聞くことです。
いずれにしても(きく)には(耳)がついています。
しかしただ耳で聞くのではないのでしょう。耳を通して全身で聴く。
そんな意味のある深い言葉でありましょう。
2015年
10月
20日
火
ちょっとドライブ (10月20日のおはなし)
今日は天気がいいので、空いた時間を利用して、友人とちょっとドライブしてきました。
途中なんともかわった地名を発見。思わずパチリ。
なんまんだぶつ
しかしよく見たら「イ」がないですね、笑。
それにしてもいい天気でした。この少し上にある(青土ダム)も周りの山の木々が紅葉で色づいてきていました。来月には素晴らしい紅葉の景色が見えると思います。
2015年
10月
19日
月
法話報告
昨日(10月18日)
鈴鹿市内の山の麓の御寺院様の法要にお邪魔して、ご法話をさせていただきました。
この春にもお邪魔していて
もうすっかり顔なじみの皆さまです。 貴重なご法縁を有難うございました。
2015年
10月
18日
日
無明 (10月18日のおはなし)
知り合いのご婦人が、家族が重い病になり、生活が一転し、毎日介護や経済的負担からくる精神的な負担で辛い日々が続いている様子。
最近そのお方は、ある信仰宗教に足繁く通っているとのことであります。それはなぜなのか。ひとえに家族の病気が治ってほしいからであります。そしてそのことをお祈りし、県外の本部道場まで足を運ぶこともあるそうなのです。
その団体の教祖様がいうそうです。病気になったのは、あなたや家族の信仰が足りないせいです。と。その方は最近増々その教団へ足を運んであるようです。
そんなとき私は真宗の僧侶として、その方にどう接すればいいのか、今も考えています。病気を治したい、というのは切実な願いです。
しかし問題は、病気が信仰していないせいである。と決めつけてしまうことです。だからあらためて信仰すれば、病気が治る、という発想です。なぜ病気になることが、信仰していないという原因になるのでしょうか。そうして信仰することで病気が治る。という発想も怪しいものです。問題は病気を悪いもので、排除すべきものとみていることです。
本当に信仰していたら病気にならないなら、教祖は死なないのでしょうか。そんなことありえません。みんな死ぬのです。
信仰で病気が治る、と信じることこそ信仰ではなく迷いです。
本来の信仰とは、拝むことと病気が治ることは関係のないことであると、気づくことこそが信仰する人です。
そんなこんなと考えているうちに写真の言葉が浮かんできました。
なんまんだぶつ。
2015年
10月
17日
土
恥 (10月17日のおはなし)
今日もいい天気。快晴の一日でした。
今日はお参りと、もうすぐある
(10月24日)永代経法会の準備、そして夜は父の誕生日のお祝いの食事会を家族で行いました。
父も81歳になります。いつまでもいてほしい気持と、それは叶わぬ思いであるという気持とがいつも私の心の中でせめぎ合っています。
ですからなおさらに今一緒にいられることが貴重な時間であることを思います。
今もなお、いや今だからこそ父から学ぶことがあると思っています。今しか聞けないことを父から聞きたいと思っています。しかしなかなかそうはいきません。父と面と向かうと、つい聞きそびれてしまい、些細なことでぶつかって疎ましく思ったり、腹を立てたりしてしまいます。
今日は「恥」という言葉をあらためて考えていました。
この字は不思議な字です。「耳」と「心」で「恥」です。心に耳を傾けると、恥ずかしいわが身が聞こえてくるのでしょうか。
恥ずかしいとは誰のこと?心に耳を傾けていったときに聞こえてきたことにたいして「恥ずかしい」と感じた人のこと。
2015年
10月
16日
金
大きな言葉 (10月16日のおはなし)その2
正信偈様、文類偈様の終わりのところにこのお言葉が出てまいります。
無辺の光、仏の智慧によって明らかにされた、おのれの悪は無辺であるということでした。
あまりにも大きくて、実感がない鈍感な私であります。
「たまには良いこともするさ」なんて思っている私です。
まったく驚きのお言葉に出遇いました。なんまんだぶつ。
2015年
10月
16日
金
老人施設へ法話ユニット訪問 (10月16日のおはなし)
昨日のことですが、福田洋山氏と二人での法話ユニット「三日坊主」で
鈴鹿市内の福祉施設(シトリン)さんへお邪魔してきました。
約40分間の、歌あり、掛け合い法話ありの楽しい法話ライブをさせていただきました。最後にアンコールまででて驚きました。
また機会があればお邪魔したいです。ありがとうございました。
2015年
10月
15日
木
順調とは (10月15日のおはなし)
今日も鈴鹿は快晴秋晴れ。
暑くもなく寒くもない、まさに秋本番という陽気です。
しかしもうじき木々が色づきはじめて、秋の終わりとともに、また寒い季節がやってきます。過ごしやすい陽気はそう長くは続きません。
どんなに秋の継続を願ってもそれはかないません。ならばその移り行く季節をそれぞれに巡っていきたいものです。それぞれをそのままに楽しんでいきたいものですね。
なんまんだぶつ。
思い通りになることが、順調でしょうか。
2015年
10月
14日
水
えらばず きらわず みすてず (10月14日のおはなし)
み仏のおこころは、この三つ。
私はというと、えらんで、
嫌いなものは、見捨てていく。
好きなものは、私のもの。
嫌いになれば、ポイ!
恐ろしいことに、それがたとえ自分の親であっても、子であっても、
煩わしい存在になれば、ポイ!したくなる。
そんな人生、選んで、嫌って、見捨てる人生。
でも選びたいのに、選べない時がきっとくる。嫌って見捨てたいのに
見捨てられない時が、きっとくる。いやもうきている。
自分が気づいていないだけ。
み仏のお心は、えらばず、きらわず、みすてず。
辛い時こそ、この言葉を繰り返そう。
えらばず、きらわず、みすてず。なんまんだぶつのお心は。
えらばず、きらわず、みすてず。なんまんだぶつ。
2015年
10月
12日
月
専門誌「月刊住職」に紹介されました
お寺の専門誌「月刊住職」10月号で紹介されました。
普通の本屋さんには置いてないようです。興味のある方はお寺にて
お読みください。
2015年
10月
08日
木
法話に伺いました (10月8日のおはなし)
今日は午後から、四日市市内の浄土真宗本願寺派の御寺院様にご法話に伺いました。
今日も秋晴れのいい天気でしたが、少し肌寒いくらいでした。季節は確実に冬に向かっていくのですね。そんな中皆様と一緒に楽しいひとときを過ごせました。 有難うございました。
それから明日は高田派本山で、朝のお勤めの後のご法話をさせていただきます。お近くの方ぜひお参りください。そしてブログみたよ。とお声かけいただけると嬉しいです。お待ちしています。
2015年
10月
05日
月
三尊仏法会 於神戸別院 (10月5日のおはなし)
昨日10月4日地元の神戸別院(かんべべついん)で、17年に一度の一光三尊仏の御開帳法会が勤修されました。
写真はその三尊仏が当日朝神戸別院にご到着されたところです。
供の者に担がれて別院本堂にお入りになるところです。
ところで三尊仏とは、一つの後背(後光)に、中心に阿弥陀如来、両脇に観音菩薩と勢至菩薩の三体の仏像がお立ちになっている仏像です。
伝承として親鸞聖人が信濃の善光寺より譲り受けられて直拝されていた仏像で、普段は栃木県の本寺専修寺に閉扉されて安置されていますが、江戸時代より17年に一度御開帳されて、全国の有縁の寺院に赴かれます。開帳期間は三年。今年が二年目で、来春栃木にお帰りになります。
2015年
10月
01日
木
ついたちまいり 獅子王の話 (10月1日のおはなし)
今日は10月1日です。
すっかり日が短くなってきました。お彼岸さんも終わり、これから次第に夜が長くなってくるのでしょう。
そして今日から衣替え。
たしかに肌寒くなってまいりました。今日のついたち参りも、皆さんでいただくお茶も冷たいのより、温かいお茶をだしました。
お茶が美味しい季節でもありますね。そしてそうこうしているひまにもう報恩講がきて年の瀬になるのでしょう。
ああなんて早いのでしょうね。光陰矢の如し。
そういえばお釈迦様の前世のお話である「ジャータカ物語」の中に
獅子の王様の話を思い出しました。
人間が獅子の王に戦いを挑んだとき、獅子の王が言いました。
「弓の名人を4人それぞれ同じ場所に立たせ、それぞれ別の四方に向かって同時に弓を放ったとき、私はそれをすべてとらえよう」
人間の王がこれに同意し実行させたとき、はたして獅子の王はこれらの矢を一瞬でとらえた。
人間の王が感心し、驚愕し、恐れをなして「あなた様のお力には敬服いたしました。この世で一番早いのはあなた様でありましょう。」
というと、獅子王は
「とんでもない、この私よりも早いものがあるのを知らないのか。
それは命の終わる早さである。」
といわれました。人間の王はこの旨を獅子王より学び、仏門に入られたということです。
2015年
9月
29日
火
草刈 (9月29日のおはなし)
そろそろ草がのびてきました。
いよいよ秋本番の今日この頃ですが、そのなかで草さんだけは、夏も秋も関係なし。またまたどんどんのびてきました。
そこでまたまた重い腰をあげて
草刈をはじめました。
まだまだですが今日は一応ここかで。
あちこちで秋の虫が鳴いていました。風も爽やかでした。
同じ草刈りでも夏よりずっと刈りやすかったです。
2015年
9月
27日
日
お月見 (9月27日のおはなし)
今夜は中秋の名月。
ということで、夕方まだ日も明るいうちから、山門前にお月見の準備をしておきました。
このあたりでは、お月見の夜になると、
子供たちが町内を回って、お菓子をもらって回る習慣があります。
そこで今夜も、回ってくる子供たちのためにお菓子を用意しておき、さきほど(18時)あたりが暗くなり、お月さんが東の空に浮かんで明りを灯しはじめたので、ふと当ブログに写真を載せようと、山門前にいくと、いつの間にかお菓子の大半がなくなっています。
もしかしてまだ明るいうちに子供たちがもらっていったのかな。
しかしお月見はお月様が出てからと決まっています。
もしかして知らない通行人の方が、もっていったのだろうか。
もしそうならせっかく子供たちのために置いておいたのに。酷いことをするものだ。意地の悪い私はついついそんなことを勘ぐってしまいます。
子供たちも複数で何組かで回っているので、気のはやい子がもう廻ってきたのでしょう。きっと。そんなわけで写真はちょっとさみしくみえるススキとお菓子の箱です。 まだ来ない子のためにもう少し補充しようか、でもそうしたら見張っていようかな。
そんな狭い心をもった私を、お月様が明るく照らしてくださっていました。 なんまんだぶつ。
2015年
9月
22日
火
お墓参り (9月22日のおはなし)
今日はお墓でお勤めの後、備え付けの掲示板に今月の言葉を張り替えました。いささか不安定な掲示板に見えますが、一応土中深くまで二本の柱を埋めて立ててあります。正面の建物は地蔵堂です。お地蔵さんの背中にもたれさせていただいています。なんまんだぶつ。
2015年
9月
21日
月
広報すずか (9月21日のおはなし)
鈴鹿市の広報すずかの9月20日号に、当寺院のことが載りました。
まちかど博物館のことです。
この広報誌は鈴鹿市が発行しているもので、市内全域に配布されているものと思います。これからどんな反応があるのか、楽しみというか、戦々恐々ですが、笑。
同行の方からは、広報でみたよ。と声をかけてくださることもあり、お話のきっかけになっています。