雪景色

 昨日今年は雪はまだ積もっていないと、こちらで話していたのに、今朝起きてみたら写真のような雪景色になったおりました。

子供の頃には雪が積もると大喜びしていましたが、今はあれこれ考えてしまい困惑しかありません。道路が凍結してしまうと車が走れない、午後から予定があるのに大丈夫だろうか、明日は本山での朝の晨朝法話をさせていただくのに雪がまだ降られると行けるだろうか、、、。などといろいろ考えてしまい、結局のところ、まったく迷惑なやつだ、と恨めし気に空を眺めてしまいます。

 つまり常に自分の都合でものごとを見ているのです。自分の都合で雪を見れば、まったく困ったもの以外の何物でもありません。そうしてなんで自分のところばっかり他は晴れてるのにと、それからまるで負の連鎖のように次々に嫌なことを考えてしまいます。そうして晴れて雪の心配もなくなったら、途端に喜びさっきの心配や不満はどこえやら、すっかり忘れてしまっています。

 しかしどこへもいっていません。その不満の種は、自己中心の根性はそのまま残っているのです。そのまま私の心の中心に相変わらず鎮座ましましております。ですからそれは忘れたのではなくて、その私の都合のよいようになっているから、私の自己中心的根性(我執)は満足しているため騒がないだけなのです。

 縁がもよおしてまたそれに合わない(都合の悪いこと)が起こったら、たちまちさっきのように負の連鎖がはじまります。

 こんなこと言ってる自分はさも他人事のようですが、こうして言葉にすれば簡単に言えますがそれが自分のこととなるとすっかり見失ってしまいます。

 雪がそれを教えてくれました。

 

  雪に遇い風に吹かれて立ちどまる