木蓮尊者










 久しぶりに晴れました。風は強かったのですが、その強い風に揺られながら

木蓮の花が咲いていました。

 木の蓮と書いて木蓮(もくれん)。(もくれん)といえば、お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者を思い出します。神通第一といわれました。

 神通力には六つあるといわれます(六神通)。そのうちの一つに(宿命通)がありますが、これは過去世(前世)をみることができる力なのですが、この宿命通は、ただ見るだけではありません。過去をみること、知ることで、かえって今の現実から目を反らさない。過去のせいにしない、今を生きていく自覚に目覚めていく力です。

 目連尊者はその力を実践していかれた方であったのです。しかし目連尊者ではない私たちはこの(宿命通)の神通力はありません。体得しようと思ってもできません。できないからこそ阿弥陀如来は48の願い中の第5願に

宿命通の願をおこされ、私が宿命通に目覚める誓いを立てられました。

 宿命に目覚めるとは、この現実を生きる、ということです。

 安田理深先生は「真実報土の往生は、思いでなく事実である。」といわれました。つまり今の現実から目を反らさない生き方を、阿弥陀如来より賜る、ということです。なんまんだぶつより教え賜るのでしょう。

   

  木蓮とこの日にあえたうれしさや       

  なんまんだぶつ。