雨の訪問者    (6月8日のお話)

 ここ東海地方は今日から梅雨入りだそうです。もうとっくに梅雨に入ってたと思っていたのは私の勘違いのようでした。

 ところでそんな雨の午後、本堂にいるとある方が訪ねてこられました。その方は身内を亡くされて、当寺院でお葬式をされた家の方でした。

 「ちょっと相談したいことがありまして、・・・」

 突然の来寺ではありましたが、その時は時間もあったので

「どうぞどうぞ、さあお上がりください」と本堂でお話を聞かせていただきました。

 仏壇についての相談でしたが、お話を傾聴させていただき、色々お話させていただきました。お茶を一緒に飲みながら世間話も交えて互いに話をして、最後に一緒にお勤めしてお帰りになられました。

 相談内容については詳しくは申せませんが、誰にでもある心配事かもしれません。以前は迷信的な質問や相談事が多かったのですが、このごろはそれも少なくなり、「迷信」から「無関心」になったいったようで、仏事に対しても、無関心、どうでもいいということなかもしれません。

 そうなると相談すらしなくなります。なんとさみしいことでしょうか。今日来寺された方は仏事に対する問いをもたれたということにおいてとても大切な仏縁をもっておられます。問いは答えからの招きであります。問いから救いは生まれます。

 むしろ問いのない世界は答えのない世界です。これを「展転」「輪廻」というのでしょう。つまりさまよう。どこにも終着点を見いだせない、蜃気楼を追いかけていつまでもさまよっているようなものです。

 あらためて「無関心」について考えずにいられません。