一日一話  (6月15日)

 一日一話という見出しでこのブログを始め、今日まで続けてきましたが、はたして何人の方がご覧になってみえるのでしょうか。

 まったく反応がないので、わかりません。もしかしたら誰も見ていないのかもしれませんね。

 周りのある人からは、自分の趣味で始めたんやろ。といわれましたが、それもまんざらはずれてはいないようです。

 もちろんそんなわけありませんが。しかしなんの反応もないブログなら趣味でやってると思われてもしかたありません。

 ただいえることは自分が始めたくて始めたことです。ですからやめる時もあっさりしたものかもしれません。

 誰も見ていないのに書いてるのはさみしいものですね。

 しかし草花はそうではありません。山奥の誰もこないところでもひっそりと咲き散っていく。誰に誉められなくてもただ淡々と咲いている。

 見られなくてもいい、誉められなくてもいい。ただその命を咲かせるだけでいい。

 そこが私とちがうところ。どんなに心を入れ替えてみても私には到底できないでしょう。できないけれどそのいやらしさに気づかされました。私は到底山奥の草花にはなれない。このブログを書き続ける理由もそこにあるのではなかったか。趣味であり名誉欲であり、そしてなにより書きたい、伝えたい、そのままでないかと思います。